ある版画家との対話
夢で起こされた。
砦のように囲われた空間内に、アーチスト自由人たちが思い思いに棲んでいる。
早く起きたのか、みんなまだ寝ている・・たぶん。
門を開けて外の世界に出てみる。
雪が降ったような静かな世界・・
遠くに白い犬がいた。
かわいい眼している。
ぼくに気づいて走ってきた。
とっさに門の中に入って、門を閉めた。
けど閉まりきらないで、少し開いている。
アーチストたちが、
なんで入れてあげないの?!
とぼくを責めた。
そこで目が覚めた。
先日、版画家の今井俊さんが来てくれた。
つれあいの画家みちるさんが最近亡くなった。
花の谷クリニックのホスピスでしずかに亡くなった。
ここ数年、みちるさんの症状の変化や、俊さんの介護の苦労話など聞いていた。俊さんの口から聞くと、辛酸な状況がコミカルになるから不思議である。
ほんとうはさびしいだろうに、俊さんは気丈に明るくふるまっていた。
傍目には「労働運動活動家」だった大昔とは違って、最近、他者との距離感をとるのが上手くなったと自分では思っている。
フリーランス翻訳者として、寝る時間も惜しんでガンガンに仕事をしていた最近のイメージがあるのか、俊さんも手作りTシャツ2枚を手渡したらすぐに帰ろうとするくらい、周囲に気を遣わせすぎ・・反省。それを宥めて、俊さんとたっぷり話ができた。
82歳の俊さん・みちるさん夫妻とは15年ほどのつきあいになるだろうか。最近亡くなった画家野見山暁治とイメージが重なる。俊さんから、この辺のアーチストたちの様子もわかった。アクティブなかれら、かのじょらの、あまりにもアクティブすぎる人生に、つい大笑いしてしまう。
アーチスト自由人たちの世界のひとではない、わたし。
かと言って、「哲学」のひとでもない、わたし。
とうぜん、「フリーランス翻訳者」のひとでもない。
その中途半端さ加減が苦悩でもあり、快感でもあり、快感でもある。
なんでもないわたし。肩書きがないことのフリーさ。
アーチスト自由人たちのフリーさが羨ましくもあるが、自分はもっとフリーかとも思う。
なんでもないのだから。。
「ネフェルカプラーの墓所」問題のひと・・・とでも肩書きを付けるか(^O^)
俊さんの同年代の親友、稲垣尚友さん(アーチスト、文筆家・・彼も肩書き不詳!?)も、お元気そうでなにより。いまだに何故か女性にモテるそうだ。稲垣さんから直接聞いたことがある「ハーレム状態ですよ!」・・・それはマジうらやましい!
写真は、今井俊作「インコ」
メキシコからアメリカに自動車で引っ越した時、メキシコに置いて来た「インコ」が恋しくてシクシク泣いているみちるさんを見かねて、俊さんは自動車をUターンさせて「インコ」を取りに戻ったとのこと。