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(小説) ゆらぎ(後編)3.労組大会

      3.労組大会

巧が入社する一年程前から、ドイツ人経営の職場で労災問題が発生していた。
外資企業にありがちだったのだが、簡単に解雇される労働環境だった。文化の違いもあるのだろうが、ドイツ人上司の気分で、「明日から来なくていい」と言われることが頻発していた。
それに危機感を感じた労働者たちが職場組合を結成していた。組織率は、9割を超えていた。
ひとりのタイピストが腱鞘炎になり、労災申請し、争議になっていた。組合執行部は、社外の地域労組組織に相談して、労災申請・労基署交渉など行っていた。

巧も入社後すぐに誘われて、さほど乗り気ではなかったが、職場組合に加入した。山登りに熱中していて、組合活動には、まったくやる気のない新入社員だった。

労災問題で臨時組合大会があった。
会社は、労災闘争が次第に激化していくのに危機感を感じたのか、社外の労務コンサルタントの指導下、組合の切り崩しにとりかかっていたのだった。
みんな元気で、「労災患者を断固守る!」「組合潰しは不当労働行為だ!」「断固闘う!」「俺は絶対に組合を辞めない!」「ドイツ人経営の横暴を許さない!」「がんばろう!」という意見が大多数を占め、意気が揚がっていた。
これなら大丈夫だ、と巧は思った。

巧は、労災闘争、組合運動にはまったく関心なく、「これから、谷川岳に出発するので」と言って、早々と退散した。少し、巧に対して非難気味の組合員もいたが、「谷川岳なら仕方ないよね」と許してくれた。

その夜、夜行列車で、巧とSのふたりは、谷川岳に向かった。
会社が終業してから夜行列車で山に向かい、翌朝、早朝から登り始め、夕方降りて来て東京に帰り、翌朝会社に出勤するという行動パターンは、会社勤めの山屋には当時普通のことだった。
早朝、上越線土合駅に着き、駅で仮眠して朝一番のロープウエイで天神平に向かった。天神平から尾根歩きで、谷川岳山頂に登った。下山時は、結構急勾配で大変だった。ロッククライミングのメッカだが、尾根歩きに徹した。

麓には、遭難者の慰霊碑がたくさんあったのに驚いた。
R山岳会のふたり、S山路会の仲間たち、山屋のたくさんの遭難者たちを思い、手を合わせた。

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