136 ゆらぎ 16(最終回) -あまりにもあいまいな(続編) 「他者のために生きる」?
巧は仏教徒である。ゾクチェン瞑想(rDzogs-chen Vipassana)から分かるように、チベット仏教のBuddhistである(心情的には)。「利他主義」ということもあるように、他者の幸福のために自分を犠牲にするということは仏教徒の鏡でもあろう。
社会的「活動家」と呼ばれるひとたちがいる。時には、「過激派」とも呼ばれ、社会的に否定されることもある。真の「活動家」、真の「過激派」の中には、『他者の幸福のために自分を犠牲にする』ことを、人生を賭けて生き抜いているひとたちがいることをご存知だろうか。
巧も、意に沿わず、労働運動に巻き込まれたお陰で、そんな100%優しいひとたちと出遭った。これも、巧の「闘争」の大きな成果である。巧自身も、「活動家」「過激派」と呼ばれていた。特に某大政党の党員たちからは積極的に『過激派』『トロツキスト』キャンペーンを張られて、巧の単身決起の闘争を全面否定されてきた。そんな党員たちも、同じように「活動家」と呼ばれることもある。
登山仲間であり、親友でもあるSの愛人たちが立て続けに遭難・病死した後、巧は積極的にSの山行につきあった。Sは、傷心し、自殺の危険もあった。巧は、当時「活動家」だった。「他者の幸福のために自分を犠牲にする」精神から、Sの山行を共にした。ネパールヒマラヤトレッキング、真冬の甲斐駒・仙丈ヶ岳・八ヶ岳・早春の穂高・・と、時には厳しい、身の危険もある登山もした。実際、早春の、まだ氷り切った北穂の斜面で滑落したこともある。
そんな巧の体を張った行動に、労働運動の仲間たちは否定的だった。「そんなふうに思って、厳しい登山につきあってくれるというのは、俺だったら嫌だな。」と言った仲間の執行委員もいた。
実際、30年以上も現場の「活動家」やっているといろいろ思うところもある。巧の「三井三池労働争議」幼児体験が、その基層になっているのだが、だからこそ、なおのこと、大声で言いたいこともたくさんある。第一組合である三池労組の活動家たちを、こころから尊敬すると同時に、敗北した真の原因を本当に「総括」してますか?と問いたい気持ちもある。
巧自身、労働運動の修羅場を体験して、仲間の「活動家」たちをこころから尊敬すると同時に、なにか違う!と思うところも少なからずある。現場に居た時には見えなかったが、そこから離れて、それでも世界には、日本には、まだまだたくさんの「修羅場」がある。むしろ、日々増えてすらいる。そんな現場に戻ってみても思うところがある。なにか違う!と。決して、そんな現場で闘っている「活動家」たちを批判しているのではない。ただ、巧の「修羅場」体験から、感じるところが多々ある。
少なくとも、「活動家」であるということ、『他者の幸福のために自分を犠牲にする』という生き方は、決して「スタイル」でも「ファッション」でもない。全身全霊を掛けた「生き方」なのである。時には、自分自身の命すら掛けた「生き方」なのである。その「覚悟」があってはじめて「活動家」になるのだと思う。ほんものの「活動家」のなんと少ないことか!
これは、闘う「組織」自身の宿命・本性なのかもしれない。スローガン・建て前と 本音の「差」かもしれない。スローガン、つまり「要求」を裏付ける現実的な力関係の分析の不足かもしれない。どんな闘争でも、時には「戦争」もそうだが、「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」、つまり、敵を知らず、己を知らなければ敗北必至ということなのだろう。三池闘争の敗北の一因であろう。
それ以前に、「組織」を構成しているのは『ひと』であるという事実である。マルクス・レーニンの思想に欠けているのも、この点であろう。異論・反論が聞こえてきそうだが、むしろ、巧は、もっともっと「マルクス・レーニン」を深く読み込まなければならないとすら思っている。「前衛」である「活動家」に最も必要なのは、「理論」でも「闘争」でもなく、『ひと』としての『覚悟』なのだろう。
「万国の労働者、団結せよ」・・その『労働者』は決して『量』でない。「量が質を変える」ことも事実だろうが、ひとりひとり違った個性と人生観と、自己と他者の諸人間関係・社会的諸関係の『総体』を持った『ひと』である個人が『労働者』なのではないか。
そんな「組織」の構成要素である前に、『ひと』はまず「自己」であるべきなのではないか。そんな『ひと』のあり方を「組織」は最優先すべきではないか。
巧は、労働組合の執行委員として、担当している現場の個人との交流を大事にした。それは、時には、「労組員」である以上に「人間」としての交流でもあった。しかし、「組織」である労組の執行委員たちからは、そんな巧の行動は批判・否定された。「組織」あっての「個人」であると。原則的労働運動は、それはそれでいい。すばらしいことだ。今の日本の労働者の労働現場の悲惨な状況は、原則的労働運動であったであろう「総評」の解体→御用労組「連合」支配にこそある。日本政府の目論見通りに進んだ。その最初の契機が「三池争議」の敗北であろう。
巧は、ドイツ人経営の翻訳会社に採用された最初の出社日の朝、「違う。ここは自分がいる場所ではない。直ぐに辞めよう。」と思った。しかし、企業内労組は、労災問題を巡って会社と対立していて、会社は本気で「労組潰し」攻撃を仕掛けて来て、あっという間に切り崩され、執行委員の女性Jさんの「どうしていいか分からないわ。」という一言、彼女の涙が巧を労組に戻し、結局は、これまで書いてきたような大闘争を職場で巧ひとりが闘い、奇しくも完全勝利した。気が付いたら30年近く経っていた。
最高裁の勝利判決以降、巧はやりたい放題だった。新入社員たちとも深く交流した。人生最大の出逢いと言っても過言ではない、スピリチュアルの師Kくんとの出逢いもあった。
しかし、Jさんの涙から始まった、巧の「ものがたり」は、これで「完結」すべきだと思った。仲間の執行委員たちにも、巧は「定年退職まで会社に居続けたら、私にとっては、それは敗北です。」と宣言していた。
巧は、定年退職まで10年以上残して、「闘争現場」である会社を自ら退職した。自己であるべく・・。
・・・楽しかった♪
・・・よく遊んだ♪
(闘争の過程で他界した組合側、会社側の方がたに哀悼の意を捧げます。)
(完結) フィクションです。
(写真は、エルサレム。イスラエル側から見たパレスチナ自治区)
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