「シビル・ウォー アメリカ最後の日」雑感
まぁ、今のアメリカのみならず、世界各地の状況を、本質的に象徴する映画なんでしょう。
多様化ならまだいいのですが、二極化は、とても危険な状態なのだと思います。相反する二極の対立は、妥協の余地がなくなり、最後には、相手を全否定・殲滅せんとするまでに至りやすいからです。
幸い、先日の米国大統領選挙では、シビルウォーに至りませんでした。
その直後の韓国「戒厳令」の問題の本質は、大統領の極端な「二極化」思考にあるのでしょう。
米国・韓国のみならず、米中・共産中国-台湾・米露・ロシア-ウクライナ、イスラエル-パレスチナ、イスラエル-イラン、トルコ-クルド・・・・世界中、二極化構造が散見されます。ツィッター(X)、FBなど各SNSを眺めても直ぐに見つかります。見るのが苦しくなる程です。XやFBなど、怖くて投稿できないくらいです。
何時、こんなになってしまったのでしょう?!
確かに、二極化の極致「戦争」は人間の歴史そのものかもしれませんが、近代化以降、特に、1990年代以降、人類が未だ見ていない新しい形で顕著になったように思います。ソ連崩壊→911は、二極化のパラダイムシフトと言っていいかもしれません。
更に、21世紀のテクノロジー時代の先駆けとしての「ウィンドウズ95」発売は、分岐点だったのでしょう。サイエンステクノロジーが、人類史的に登場してきて、その全盛時代に向かいつつあるのですから。Generation Z以降のデジタルネイティブ世代は、生物的にも人類的規模の変換点なのかもしれません。
そのことが、今の「二極化」の鮮明化に影響している気がしますが。
未だ終了どころか、”under control”もしている筈もない、進行真っ只中の「311」の本質にも「二極化」構造を見てしまいます。
原発反対派⇔賛成派→自然エネルギー→原発再稼動と続く流れというか「右往左往」も、多様な議論の切り捨て→無力感・無関心という二極化→一極のなし崩し的強行という現実は、悲喜劇以外のなにものでもありません。
とにかく、アメリカの「二極化」は、世界の心配の種であることは間違いないことです。
寛容性なき世界の恐怖をかんじます。
22.Dec.24 あまりにもあいまいな-レジリエンシー