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デジタルカメラは本当に「写真」を撮れるのか?

1. フィルム時代の舞台撮影
2.デジタルカメラでの舞台撮影
3.デジタルとフィルムとはまったく違う
4.デジタルとフィルムの違い
5.デジタルとフィルムは、何が違うのか?
6.デジタルカメラは本当に「写真」を撮れるのか?

1.フィルム時代の舞台撮影

フィルム時代に舞台撮影をやってました。能、狂言、歌舞伎、韓国舞踊、ジャズダンス、日本舞踊、シャーマン(韓国ムーダン)など撮りました。
舞台公演の撮影の時は、観客の間で撮影するので、結構大変でした。
能舞台の時には基本静かなので、シャッター音、フィルム交換時のノイズなど、気を遣いました。しっかりした三脚を立てて、サイレンサ(消音バッグ)内にカメラを入れたものを2-3セット設定(それぞれ300mm単焦点レンズ、70-200mmズームレンズ、90mm単焦点レンズ)して撮りました。能の演目により、撮影の山場を予想するのですが、それでも1フィルム36回に限定されたシャッター回数は大きなストレスでした。300mm単焦点で撮りたいのに、演目は情け容赦なく進むのにフィルム交換しないといけない時などは心臓バクバクでした。しかも、暗い客席の中で、サイレンサのバッグの中で手探りでフィルム交換しないといけません。フィルム巻き上げの音にも気を遣いました。時間が許せば、撮り終わっても放置しておいて、適切な時間に巻き上げてましたが。
その日のうちに、暗室でフィルム現像して、コンタクトプリントを焼きました。テストプリントを焼いて、最終的な仕上げにバライタで焼くまで、とても楽しい時間でした。紙焼きに拘ると納得行く作品ができるまで時間がとても掛かり、拘り過ぎると限りなく果てしない作業が続きます。

2. デジタルカメラでの舞台撮影

デジタルカメラが登場した当初、解像度の点でフィルムカメラには適いませんでしたが、次第に追いついてきました。
デジタルは、確かに助かりました。36回のシャッター回数に制限されず、連続1000回以上シャッターが押せるのは、舞台撮影にとっては至福でした。
なるほど、デジタルで、大きな公演も何度も撮りました。暗室作業からも解放されて、明るい部屋で、コンピュータ作業できるようになりました。

が、しかし、次第にデジタルでは撮らなくなりました。かと言って、フィルムで撮るには大変過ぎ、仕上がり迄時間が掛かり過ぎ、肝心のフィルム(コダックTXを愛用してました)も印画紙(レンブラントを愛用してました)も製造中止になったり等の欠点から次第に足が遠のいて来ました。

3. デジタルとフィルムとはまったく違う

実際に作品を使う時には、フィルムで撮って大変な思いをして紙焼きしても、結局、デジタルに変換しますし。とは言うものの、フィルムで撮った作品と、最初からデジタルで撮った作品と、一見大差ないようなレベルに迄デジタルカメラは進化したものの、少なくとも撮った側からすると、基本的に全く違う質のものです。場合によっては、デジタルの方が解像度は高く、鮮明な写真なのかもしれませんが、フィルムで撮った写真とは基本的に何かが全く違います。

4.デジタルとフィルムの違い

メカニズムとしては、デジタルの優位性は認めます。天体写真とか、科学写真とか、自然の写真とか、デジタルの利点を遺憾なく発揮している分野もあります。携帯に内蔵されているカメラも、最近では実用に遜色ないものになってます。
舞台撮影でも、デジタルでよい作品を創っておられる作家もいらっしゃるのでしょう。それを受け入れる方も、フィルム以上に満足されている方も少なからずいらっしゃることでしょう。ポスターや、インターネット広告に直ぐにし易いですし。データ保存もし易いですし、納品も簡単でしょうし。

私が、フィルムからデジタルへの移行に連れて次第に撮らなくなったのは、単なるわがままなのでしょうか?

確かに、私の写真の師、韓国人写真家黄憲萬は、舞台撮影ではありませんが、ハッセルブラッドを仕事で使っていたのに、デジタル時代が到来すると即座にハッセルブラッドを売り飛ばして、キャノンデジタルだけを仕事で使ってます。プロフェッショナルの仕事としては、それでいいのかもしれません。
しかし、写真作家黄憲萬の本領としては、モノクロフィルムで撮った韓国伝統民俗写真にこそあると思います。私の舞台写真も、モノクロフィルムで撮り、暗室でフィルム自家現像し、暗室で紙焼きした写真こそだと思います。

5. デジタルとフィルムは、何が違うのか?

カメラ・オブスクラからダゲレオタイプ、コダックからライカを経て基本的に完成されたフィルムカメラと、その延長上にあるのでしょうが、光学フィルムから光電変換媒体CCDに変わったデジタルカメラとは、基本的なところで根本的に違うものなのではないでしょうか。

「写真」というのは、フィルム装填から撮影、暗室作業でのフィルム現像、コンタクトプリント、試し焼き、本番バライタ紙焼き、修正、額装といった一連の作業の総体を言うのではないでしょうか。少なくとも私にとっては、それが「写真」なのです。
デジタルカメラが撮るのは、「写真」ではなく、単なる画像、イメージングなのではないでしょうか。

真空管アンプと、最新LSIのデジタルアンプとの違いに類似するのかもしれません。最新LSIデジタルアンプの完成形を聞くと、臨場感といい、音質といい、申し分ないものです。演奏者が目の前に居るかのような、演奏者の呼吸音、心臓の音も聞こえる程です。それに比べると、真空管アンプは、歪も多く、ノイズも多いことでしょう。しかし、両者はまったく比較にならない程違っていて、真空管アンプに軍配を上げる人も少なくないのではないでしょうか。それは、単に情報量の多さ、忠実度の差だけではなく、音が処理される過程そのものが違う、アナログとデジタルの違いにあるのではないでしょうか。

デジタルカメラも、光情報を、光電変換媒体CCDを通した瞬間に違う「光」になってしまうのではないでしょうか。「光そのもの」の化学変化から、「光-電子信号」の情報処理への「進化」は「進化」ではなく、単なる「変化」に過ぎないのではないでしょうか。後者は後者、それはそれでいいと思います。しかし、同じ「写真」「カメラ」という言葉は使いたくありません。

6.デジタルカメラは本当に「写真」を撮れるのか?

上述のことは、単なるロートルの戯言なのかもしれません。
サイエンステクノロジーは、進化し続けていて、「カメラ」も当然その恩恵を受けて「進化」するものなのでしょう。これを否定することはできないのかもしれません。よっぽどマニアックな趣味人ならば経済性を度外視して、アートの世界に浸りきることも可能なのでしょう。真空管アンプもフィルムカメラ・暗室作業も、そんなアートに成り下がっているのかもしれません(言い過ぎ?)。採算のとれるテクノロジーではなく。

それはともかくとして、そもそもデジタルカメラは本当に「写真」を撮れるのか?
その問題を提起したいと思います。

「なにを言ってるんだ!デジタルアートは、今迄見たことない「美」を日夜提供し続けているじゃないか!君はインターネットを見たことないのか!」とお叱りを受けるかもしれません。
「写真」という名前を創り出した人(たち)の心意気・真意・気持ち・フィーリングに見合うイメージングをデジタルカメラは提供できるのでしょうか?

この答えは、私にも分かりません。
ただ、言えることは、少なくとも私には、フィルムカメラでの撮影と暗室作業の、あのワクワク感と、バライタ紙の仕上がりを創った時の感動と、その作品は、デジタルでは達成できません。その違いと意味を自問自答し続けてます。虚しい作業かもしれませんが。。。
  25.Sep.24 JP.NR.


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