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(小説) ゆらぎ(前編) 13.墓移し
13. 墓移し
「神は人間を生きた自然の中へ
造り込んで置いてくれたのに、
お前は烟と腐敗した物との中で、
人や鳥獣《とりけだもの》の骸骨に取り巻かれているのだ。」
ゲーテ『ファウスト』森鴎外訳
煙草を吸う曾お婆さんが亡くなった。
お葬式は、参列したのかもしれないが、殆ど記憶にない。ただ、部落の奥さんたちが沢山家に来て、料理をしていたのを微かに記憶している。当時は、家で葬式を地域総出で行っていた。
巧が、油揚げと、寒天が大好きだったことは明らかである。
夜遅く、母の実家から父の実家に行く道、巧が油揚げ食べたいと何度も言うので、母が気味悪がって、咎められたのをハッキリ記憶しているからだ。自分でも、何故油揚げだったのか、はっきり分からない。
しばらく経ってから、お爺さんと一緒に居た。
「巧の面倒ば見とらんね。」
とお爺さんに言い残して、お婆さんが何処かに出掛けた。
しばらくすると突然、お爺さんが「しもたー!」と叫びながら立った。
当時、未だ土葬だったようで、どういう理由かは知らないが、地区の人達と一緒に、曾お婆さんの墓を仮埋葬して、しばらく経ってから本埋葬し直すのである。葬式後初めての墓掘りである。その仕事をコロッと忘れていたのだった。
お爺さんは、獣医だったので、こういう類いの仕事は地域のひとからよく頼まれていた。汚れ仕事を気安く引き受けるひとの良さもあった。
お爺さんと一緒に坂道を登った。小岱山の麓にある草茫々の墓場に行った。墓場近くに着くと直ぐにお爺さんは、
「見たら、でけんたい。ここにおらんね。」
と言い残して墓掘りに行った。いつもになく、厳しい顔で、きつい声だった。
ずっと後に火葬になり、納骨堂が建てられたが、当時は未だ土葬で、墓石の墓が草茫々の山の中にあった。
藪の隅っこに幼児はじっとしていた。藪特有の匂いや木漏れ日や虫の声を感じていた。この山独特の匂いがある。何の変化もない山の景色をじっと見ていた。雲だけがゆっくり流れていった。
さすがに、手持ちぶさたになり、お爺さんの様子を覗いに行った。
少し離れた藪の少し高い所に隠れて見ていた。
数人の男たちで、ちょうど墓を掘り上げて棺桶の蓋を開けるところだった。
蓋が開いた・・。
・・巧は、見てはいけないものを見てしまった。
心臓がバクバクした。
・・・・・あの気性の激しい曾お婆さんがこんな姿に・・・・
・・・・・常に凜として、カッコよかった和服の曾お婆さんが・・・・・
あの、皮肉、嫉妬、憎悪、嫌悪、優越感、その裏返しとしての卑下、命令、自己中、見下し、軽蔑・・あのやりとりはなんだったんだろ?
自分が他者よりも高い位置に立とうとする凄まじいほどの執着とエネルギは、いったいなんだったんだろ?
・・・こんな姿になるため?!
巧は、未だ「死」を理解していなかった。これが初めてのリアルな「死」との対面だったのかもしれない。巧は、曾お婆さんの横でいつもしていたように、感情移入した・・「死」に。
数人の男たちは、なにか作業をして埋め戻したのか、別の場所に埋めたのかは、巧には分からない。
なにか悪いことをしているようで、お爺さんにここにいるように言われた場所にそっと戻った。
「どげんしたっ?」
「元気ん、なかね」
お爺さんは、帰り道、しょんぼりしている巧に聞いたが、幼児は頭を振るばかりだった。
・・・・・巧のなかで、なにかが大きく変わった・・・・。