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『オッペンハイマー』クリストファー・ノーラン監督 を見て思うこと
Cillian Murphy ファンということもあり、見ました。
「歴史」映画ということになるのでしょうが、いろいろ考えさせられました。
1. 「歴史」は、その時系列端にある現在を考える「メタ」視点を得られます。
ハリウッド映画であれ、科学史であれ、現代史であれ、現在の世界の状態に強い影響力を持つエピソードを「メタ」の視点で吟味・再考することができる点で、重要なのだと思います。
2.映画で描かれている科学者と政治との関係は、現在~近未来のAI、量子コンピュータ、遺伝子操作技術などの最先端サイエンスと、政治、パワーポリティクスとの関係を吟味・再考する契機にしなければ、唯のハリウッド娯楽映画になってしまいます。
原爆並、それ以上の影響を及ぼすであろう、これら「サイエンス」の進化を担う現場科学者・技術者と、その成果を利用せんとする政治、パワーポリティクスの密接な関係をしっかり監視しないといけないのではないでしょうか。
3.近現代科学、現代物理学の、「人類そのものに対する」(「近現代文明に対する」ではなく)功罪を人類史から、しっかり再考する必要があるのではないでしょうか。さもないと、同じ過ちを繰返してしまうことになるのは明らかでしょう。
核分裂の暴走のみならず、最先端サイエンステクノロジーの暴走も、同様に、いや、それ以上に、「我は死神なり、世界の破壊者なり」と近未来の科学者に言わしめるかもしれない程の脅威かと思います。
写真は、大塚櫻作品から「地蔵&素粒子軌跡」
3.Feb.2025 立春 あまりにもあいまいな-レジリエンシー