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ゆらぎ-山登りの「友情」(1) あまりにもあいまいな(続編)

巧くんの思春期・・中学卒業のとき、先生から「山登りやんなよ。」と薦められたのがずっと気になっていた。でも、体育会系ではない巧くんの腰は重かった。やっと卒業1年程前、 (巧くんは、勉強が嫌いで、大学受験が酷く嫌だったので、工業高専に行った。だから高専4年生のとき18-19歳) クラスメイトと一緒に丹沢の登山学校に参加した。
その少し前、別のクラスメイトが先輩とふたりで、冬の富士山に登って滑落するという事故があった。幸いふたりとも入院程度で助かったのだが、停学処分になった。そのとき、中学の先生のアドバイスを思い出し、「山って、そんなに魅力的なんだ!」と思った。
一泊の登山学校だったが、楽しかった。丹沢の鍋割山の尾根歩きだったが、大雨の直後で、登山道が崩れていて、別ルートはさほど楽ではなかった。なにより、道がぬかるんでいて、なんども滑った。

社会人になってから、山岳会に入ろうと思った。
山岳雑誌の募集広告を見て、R山岳会を訪ねた。男女ふたりのクライマーが対応してくれた。山男らしい精悍な顔つきのひとと、髪が長くて何処か憂いのある魅力的な女性だった。山屋(登山家)によくある、寡黙で底抜けに温かみのあるふたりだった。
ロッククライミング専門の山岳会だった。ハイキング程度をイメージしていた巧くんは、少したじろいだ。それで、直ぐには参加申込書を出さなかった。
その少し後、R山岳会が遭難して、男女ふたりが亡くなったことを知った。あのふたりだった。巧くんは、驚いた。それと同時に、「山」にいっそう惹かれるようになった。

結局、地元のS山路会に参加した。ネーミングからハイキングの会だと思い込んだ。確かに、最初、尾根歩きに何度か参加した。会としては、毎週のように何処かの山に登っていた。
次第に、沢登り、ロッククライミングをやるようになった。巧くんも、いっしょに参加するようになった。夏の沢登り=滝登り=ロッククライミング+滝は楽しかった。地下足袋に草鞋を履いて、全身水浸りになって登った。
定番の三つ峠山のロッククライミングのゲレンデで、ザイルワーク、懸垂下降を習った。最初怖かったが、しだいに慣れた。
本番は、3人で前穂高北尾根だった。勾配90度以上、つまり、張り出した岩をザイルワークで越す個所もあり、流石にびびった。
山頂だったか途中だったかで休憩しているとき、ザイルで確保していないのに、崖っぷちから下を覗いた。高度感が麻痺していた。「バカヤロー!」と怒鳴られた。
あちこちの山に登ったが、穂高にいちばん取り憑かれた。

高専の友人Kが、Kの中学時代の同級生Sが登山を始めたばかりで一緒に登りたがっているというので、三人で丹沢に登った。
ロッククライミング中心になっていた山岳会では、ボッカ訓練(敢えてザックに大量の水や石を入れて重くして登るトレーニング)もあったりしたので、三人の山登りは、息抜きだった。途中でビールを飲んでヘロヘロになって登ることもしょっちゅうだった。山岳会では考えられないことだった。下山してからは必ずと言っていいほど飲み会だった。
山岳会から次第に、三人の登山の回数が増えていった。

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