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シニアの多言語習得は可能か?

先日、医師・中国留学・漢方医院勤務・現在某大病院勤務の主治医(綜合内科)と歓談しました。年上の彼女と、シニアのこと・中国の民族性・欧州とアジアの相違点・ウクライナ・パレスチナなど・・楽しい時間でした。

中国語ペラペラ、近代医学・中国医学に精通した彼女も(神谷美恵子(「自省録」マルクス・アウレリウスの翻訳者)と親友でした)、シニア故の悩みを打ち明けてくれました。
記憶力・気力の減衰が著しいとのこと。

わたしが、多言語、特に、古典・現代ギリシア語を学んでいること・その語彙をなかなか記憶できないという深刻な悩みを打ち明けたら、大笑いして「じじいがなに言ってんの!」と一蹴されました。マジ、脳のMRIを撮ってもらいたかったのですが・・・(T-T)

そこで、シニアの多言語学習・習得について考えてみました。

確かに、脳の経年変化は生物的事実としてあるのでしょう。だからといって、シニアだから新しい言語を学ぶのを断念するというのは少し違うかと思います。
確かに、10代~20代の気力バリバリの学習者と較べたら、記憶力の差は歴然としているでしょう。数ヶ月前に、クレタ大学の現代ギリシア語集中クラスに参加した時に出遭った欧米のマルチリンガルの能力・努力の凄まじさは脅威と言っていい程!・・その後暫く落ち込んでました(T-T)・・それ程のレベルです!

彼ら彼女らとたくさん話し合って感じたことから、最近ブームと言っていい程の日本人の英語学習ブームについて違和感を持ってます。ここでは特にシニアに限定して少し書いてみたいと思います。

シニアと一口に言っても、団塊世代/ブーマーと、その末期のわたしの世代とはかなり違いを感じます。両極端と言ってもいいくらいです。わたしの世代は「いい加減」、典型的ブーマーは「真面目・深刻・社会派」と言ったイメージでしょうか。つまり、正反対です。
ブーマー世代は最初から新言語学習を諦めているか(思慮深くて・・)、若い頃の学歴・資格・能力などのプライドにしがみついて実際の実力が伴わないといった状況でしょうか。
わたしの「いい加減」世代は、怖い物知らずで後先見ずに突っ走って、ハテ?!自分は何やってんだろ?と立ち止まって考えてしまいます。

「シニアが英語ネイティブ並みになれるか、自分を試験台にして挑戦してます」などと、赤面もの(噴飯もの)のこと言ったりしてましたが・・・(^^)ゞ
まぁ、冷静に見て、このネアカ・超ポジティブは、いいんでねぇの!と思います。
若者世代は、これからの人生を左右するでしょうし、経済面の影響は大でしょうが、シニアは、相対的に楽観し得る状況なのではないでしょうか(微妙な言い方(^^)ゞ)。

まぁ、自分自身を実験台にしてみて言えることは、どのレベルから出発するかにもよりますが、「シニアが英語ネイティブ並みになるのは、まぁ、無理っしょ!」(^O^)・・と、言うか、そんなことどうでもいいじゃん!と思うようになりました。

ヨーロッパで非ネイティブの英語をたくさん聞き、会話してみて、これでいいんだ!と思うことが多々あり、すっかり慣れてしまいました。

大事なのは、『物怖じせずにドンドン場数を踏むこと』だと思います。英語練習のテクニックとしてよく「多聴多読」ということを聞きますが、それも含めて、実際の現場での緊張感を伴うのと伴わないのとでは段違いかと思います。その緊張感を伴う『場数』が大切かと思います。
もちろん、「ネイティブ」に拘るのなら、それはそれでいいですが、世界の英語話者のうち、ネイティブでない人口はかなり多数かと思いますので、わたしは、さほどネイティブに拘りません。

あと、マルチリンガルの彼ら彼女らの「日本人観」から分かったことですが、ミスを恐れ過ぎないことが大切かと。むしろ、ミスをするのが普通と思った方がいいかもしれません。日本人は、完璧を求めすぎて、現場で話せないことが多いのかもしれません。言語なのですから、コミュニケーションが明瞭かつ気持ちよくできることが大切なのでしょう。そこを目指した方がいいかもしれません。

脱線したかもしれませんが、シニアの多言語習得は可能かと思います。その際、そのことが楽しいのならば続ければいいし、苦痛ならば即止めるべきです。人生は、さほど長くないのですから。
16.Nov.24 あまりにもあいまいな-レジリエンシ

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