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(写真)人体表現「舞」- エッセイゆらぎ(7)
(小説)ゆらぎ- あまりにもあいまいな - もうひとつの「三池争議」-前/後編全文 から後編のうち・・
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13.山登りの「友情」(3)と「活動家」より一部・・
・・・ 韓国のシャーマン「ムーダン」をテーマに韓国の伝統舞踊、農村の伝統芸能などを撮っていた。巧は、自分でも韓国の小太鼓チャンゴをアジア文化会館(韓国語教室にいた)で習っており、韓国釜山のホンジュソンのグループと韓国の漁村で合宿したこともあった。
ホンジュソンは、釜山に本拠地を構える韓国伝統芸能サムルノリのリーダーだった。彼ら楽団のメンバーたちと一緒に数日間合宿した。
ヨングァン(霊光)原発の近くの浜辺で一緒に泳ぎ、松林でランチした後、マッコリの酔いのお陰か、彼は突然仲間と一緒に伝統仮面劇の一場面を演じ始めた。
天才エンターテイナー、ホンジュソンのコミカルな舞に、参加者みんな大笑いした。涙が出るほど感動し、それでいて、こころの奥底にジーンとした何かが残る・・そんな感じの舞だった。文字通り、心躍った。これを見たとき、このひとを撮りたい!と巧は無性に思った。
その夜遅く・早朝まで、マッコリを飲みながらホンジュソンと話した。釜山訛りの韓国語はむずかしかったが、彼の情熱を助けに話は大筋理解した。
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サムルノリといえば、キムドクス(後に彼らの舞台を撮ることになる)が世界的に有名だけど、本来サムルノリは、農村の祭りや儀式で行う農民の舞楽である。キムドクスは、それを舞台に上げて「芸術」にしたけど(北朝鮮でも公演をした)、自分は農民や大衆のなかで本来の農民の舞楽をやり続けるということを熱く語った。
それは、巧の「現場主義」と合致するものだった。
この話で、ホンジュソンを一眼レフで撮るという巧の決意はいっそう強固になった。彼にそのことを言うと快諾してくれた。
ソウルに戻って、成均館大学校内で大雨のなか、ホンジュソンを撮った。さすがプロ、ホンジュソンはしっかりポーズをとってくれた。
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ところが、その合宿直後、巧が帰国してから、釜山の路上で、泥酔したホンジュソンは自動車に轢かれて亡くなった。数百メートル引きずられたとのこと。その知らせが、丸の内の巧の職場に入った・・。
彼の故郷海南島(ヘナムト)に弔いに行った。ホンジュソンは、静かな山寺に眠っていた。本当に静かな静かな山寺だった。同じように、静かすぎる程穏やかな東海(トンヘ)がキラキラ輝いていた・・・。
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アジア文化会館韓国語教室の先生、生徒(私と幼い息子も)と、自由の森学園の韓国語クラスの生徒(先生はアジア文化会館韓国語教室の先生)たちと、韓国のカトリック協会(正式名称は忘れましたが)のメンバー(活動家、韓国伝統音楽サムルノリメンバー、作家、写真家、アーチスト等)と一緒に数日間、合宿したことがありました。もう35年以上前でしょうか。
その時、自由の森学園のひとりの女生徒(17歳くらい)サヨコがいました。彼女は、生まれつきのダンサーと言っていい程の天才的な「舞」の才能を持った少女でした。普段日常の振る舞いも、ちょっとした拍子に戯けて色んな舞の真似をしてくれた時も、笑顔でポーズをとってくれた時も、みんなすべて天性の「何か」を感じさせてくれるレベルでした。
ホンジュソンも、それに気付かない筈がありません。と言うか、サヨコの天才に注目し、それに影響されて、ホンジュソンも、私達に天才的エンターテイナーとしての姿を見せてくれました。
ホンジュソンが亡くなって、弔いに行った時知ったのですが、合宿が終わった後、ホンジュソンは、郵送で、サヨコに、韓国舞踊で履く靴であるムヨンシン(무용신)をプレゼントしたとのこと。それ程、ホンジュソンはサヨコの舞の才能を認めていたのでしょう。
それ以来、私はサヨコと会う機会は殆どなかったのですが(1-2度イベントで会ったでしょうか)、韓国舞踊、韓国シャーマン(ムーダン)、日本の能、歌舞伎、日舞、ジャズダンス、オイリュトミーなどの舞台撮影をしました。その過程で、何人もの天才的ダンサーと出会いました。本当に、写真をやってよかったと思います。
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私の写真の師である韓国人写真家黄憲萬(ファンホンマン)に貰った舞台写真集の1冊に安彩鳳(AnChaeBong)という韓国舞踊家のSoGoChum(韓国小太鼓の舞)の写真(撮影 ChongPomTae)がありました。これを見た時、サヨコを思い出しました。安彩鳳とサヨコは、同じ種類の天才を持っています!まだ「写真」に本格的に嵌まる前でしたので、サヨコの写真は一枚も残ってませんが(フィルム時代でしたし)、安彩鳳を撮った舞台撮影写真作家ChongPomTaeに嫉妬するくらい安彩鳳の舞姿が大好きです!
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この後、と言うか、並行して、宮大工とか酒蔵の杜氏とか、神社の宮司とか、竹細工職人、藍染め職人・作家なども撮ったのですが、今、そんなジャンル分けに拘らずに、みんなひとつの「人体表現」なのでは!・・と思い始めました。
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そんな観点から、私のInstagram の投稿も、当分、このテーマ「人体表現」「舞」を持ったものにしていこうかと思ってます。私のテーマの一つでもある「自己と他者」にも通じるテーマかと思いますし。
大好きな韓国ドラマのひとつである 황진이 (Hwang Jini)2006 (하지원 主演)を想起させてくれる安彩鳳(AnChaeBong)とサヨコです。
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こんな夢みたいな出逢いと、体験ができたのも、(小説)ゆらぎ- あまりにもあいまいな - もうひとつの「三池争議」に書いた「地獄」故なのですから、感謝しかことばがありません。
24.Feb.2025 - エッセイゆらぎ(7)