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ゆらぎ 4 -あまりにもあいまいな(続編) 流れに逆行して・・

就業時間中、巧は上司に呼び出された。
「組合辞めてもらった方がいいね。今、組合の執行部が過激化していて、会社は困っている。「労災」で騒いでいるけど、組合運動のためにやってるだけだよ。」
と、露骨に不当労働行為をしてきた。巧は、特に労働組合にも「労災」にも関心がなかったし、新入社員でもあり、独和翻訳の仕事を上司に添削してもらっていることもあり、すぐに組合を辞めた。

その直後から、全社的に上司による組合脱退工作が行われた。社外の労務コンサルタントのところに行かされて、「講義」を受講させられたり、「レポート」を書かされたりした組合員も多数いた。明らかに、社外の労務コンサルタント指導下での組合切り崩し策動だった。
巧が率先して、組合脱退を組合員に勧めているというデマまで飛びかった。

実は、巧は、某政党の機関紙「○旗」新聞に毎日掲載される高層天気図のコピーを、登山をやっている管理職に手渡していた。それで、会社は、巧が某政党の党員かもしれないと疑っていたのだった。それで、会社は、真っ先に巧に声を掛けて、党員かどうかの「踏み絵」にもしたのだった。

会社は、本気だった。社内ではI総務部長が率先して、社外の労務コンサルタントの指導の下、組合潰しを画策していた。
組合員の脱退が続出した。あれ程元気のよいことを言っていた組合員もあっけなく脱退した。
「俺は絶対に組合を辞めない。」・・あの言葉は、なんだったんだろ。むしろ、気勢のいいことを言っていたひと程、簡単に組合を去っていった。職場組合の委員長(男性)ですら、「もう、だめだよ。会社は、本気だ。」と言って去っていった。じゃ、あなたにとって「労災」闘争は本気じゃなかったの?・・と、内心言いたかった。

ほぼ全員に近い組織率だった職場組合だったが、最終的には数人になってしまった。男性の委員長、執行委員が去って、女性だけの執行委員、委員長になっていた。組合員は、全員女性。興味深い点は、さほど元気のいいことを言ってなかった、組合運動にも熱心でなかった女性が少なからず残ったことである。この男女差の違いはひとつのテーマでもある。

女性執行部は、なす術もなく、困り果てていた。
巧は、入社以来、執行部の女性たちとも、とても仲がよかった。
女性だけの執行部の執行委員のひとりJさんが、「どうしたらいいかわからないわ。」と悲しそうな声で涙ぐんでいた。その涙を見た瞬間、巧は原風景が蘇った。三池争議最中の炭住育ちの幼児体験が。その力は強かった。巧自身、意外だった。しかし、理屈ではなかった。体の芯に染み着いたエネルギだった。
みんな組合から去っていく流れに逆行して、巧は風前の灯だった職場組合に戻った・・。

職場の組合運動に巻き込まれた巧であったが、山登りは毎週のように続けていた。職場の先輩たちを見ていて、翻訳者というのは、ずっと座り続けていて、逆に肉体労働なのだということをすぐに悟ったからでもある。翻訳者というのは、足が萎えていく職業のひとつなのである。
ただ、山岳会でも、Sと一緒でもなく、休日に天気がよいと気儘に近くの丹沢に日帰り登山していた。職場の、翻訳者としてのストレス、労働運動のストレスの解消にもなっていた。

ある日、久しぶりにSとふたりで丹沢に登った。
Sも、ひとりで登山を続けていた。レコード店の店長をやっていたが、毎週のように夜行登山を強行していた。巧以上に登っていた。初めの頃は、巧がSに登山を教えるパターンだったが、あっと言う間にSに追い越された。

いつもと同様に、登り初めからビールを飲んだので、ペースが落ちた。山頂に着いてから、ガスボンベでパック米や缶詰などを温めて食べ、砂糖入りの紅茶をいれて飲むという、いつものスタイルが巧は好きだった。それを目標に山頂を目指してもいた。
しかし、Sは山頂に着くと、即刻下山を主張した。帰りの、夕方のバスの時刻に間に合わないという理由である。山の中のバス路線なので、確かに、一日数便という不便さは普通のことであった。
巧は、2-3時間後の次の便にすれば山頂でゆっくりできると主張した。
結局、巧はSに押し切られ、ふたりは食事をせずに即刻下山した。早足で降りたので、バスの時間には間があった。バス停の近くで、ガスボンベをザックから取り出して調理して食べた。
確かに、Sの主張の方が正しかったのだろう。暗くなると山は危険である。特に下山では。
しかし、巧とSとの間には、噛み合わない何かが入り込んだ。

駅近くの店で、いつものように飲んだが、ふたりの職場環境が違い過ぎて、巧の職場の労働問題の相談には、Sは乗れなかった。Sは、雇われ店長とはいえ、一応、管理職の立場だったし。
ただ、YMOの話には盛り上がった。YMOのコンサートで「イエロー饅頭」を配った話の直後に、巧が黄色いおしぼりを丸めて「こんなの?」と冗談を言ったらSは大笑いした。
Sは、大手レコード店の店長だったので、コンサートの招待券をしょっちゅうもらっていた。巧にも廻ってきて、何度か行ったことがある。あと、新人歌手たちが頻繁に挨拶廻りに来ていた話は巧も楽しかった。
ジョンレノンとオノヨーコがお忍びで来て、ジョンレノンと話したとのこと。それは羨ましかった。都心一等地にあるレコード店ならではの特権なのかもしれないと巧は思った。

その山行を最後に、Sは、単独行の夜行強行登山で、ガンガンに八ヶ岳や穂高などを制覇し続け、巧は、相変わらず、職場のストレス解消に、ひとりで丹沢日帰りのしょぼい山歩きを時々していた程度であった。

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