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(小説) ゆらぎ(後編)18.(最終章)「ものがたり」の終わり

 18.(最終章)「ものがたり」の終わり

・・・以上が、父巧の「ものがたり」でした。
父と祖父母三人の昔話でした。

  ・・夜が白々と明け初めました。

初めて聞きましたが、なんとなく感じてましたし、すぐ横で観てましたし、驚きませんでした。

父が自分で言う程、父は親不孝ではないと思います。だって、父母と祖父母とわたしたち兄妹の3世代同居をずっと続けてくれていたのですから。

・・確かに、父は家庭でも孤立していました。

父からよく聞く話ですが、父巧が、組合の大事な会議で休日にも拘わらず出掛けるので、おばあちゃんが夕食の仕度をいつもより早くしたところ、未だ小学生の兄が「勝手に夕食時間を早くするな!自分が好きで組合やってんだろ!」と切れた時がありました。
完全に、言葉遣いからして、祖父が兄に注入した理屈と言い草でした。私たち兄妹の母も祖父も、兄の側から父を詰り、おばあちゃんも別の視点から父巧の体を思って、「大変だろうに」と会議に出掛けるのに対して、やんわりと反対側に廻りました。言い合いが続いていた時、まだ保育園児だった私が「わたし、おとうちゃんの『組』に入る!」と叫んだそうです。一瞬シーンとなり、父巧は内心うれしかったと何度も何度も繰返し言ってました。よっぽど嬉しかったんでしょ。

覚えているのは、わたしが小学生だった頃。
ある事情で、「学校行かない!」と強く言い張ったのです。
母も祖父母も、泣き叫んで抵抗する私に向かって「行きなさいよ!」「どうしたの!」と言うばかりでした。父だけが、「行かなくていいよ。」と優しく言ってくれて、まったく理由も聞かず、自分も仕事を休んで、一緒に遊んでくれたことがありました。
翌朝、なにごともなかったかのように、ケロッとして学校にいきました。

・・私、父から叱られた覚えがないんですよ!

確かに、祖父と父巧との関係は、とても冷たかったのでしょう。兄が言うように。
でも、祖父の方が卑怯です!陰では、父の悪口を私たちに向かって言うくせに、それも酷く稚拙な、とても聞いていられないような悪口を。
それでいて、父の前では温和しくして、なんにも言わないんですよ!
内心、直接、父に言えばいいのに、と思ってました。

特に、兄は、すっかり洗脳されてしまって・・・。ある時から、父親に対して、喧嘩腰で、酷い物言いをするようになってしまいました。

おばあちゃんは、酷く悩んでました。「同居がいけないのかねぇ。」って。でも、自分は、孫たちと一緒に暮らせなくなるのが酷く寂しいようで。
父に謝っていたのを聞いたこともあります。父は、なんにも言いませんでした。母は、同居をやめようとしない父を責めていたようですが。

それでも、父は、同居をやめることはしなかったのですから。同居は、祖父母の、特に祖母の切なる希望だったのですし。父は、自分の母親を思って、同居を続けたのでしょう。もし、別居したら、祖父母の最悪の関係がまた復活してしまうと。

・・と言うか、家族だからと言って、人間として、いちばん肝心なこころの部分、信念とかの部分が違うということが、そんなに、いけないことなのだとは、わたし、思いません!
価値観が違って当然じゃないですか!
人間なんだから!
それを無理やり同じにしようとする方が、むしろ家庭を壊すのではないでしょうか。人間性を破壊してしまうのではないでしょうか。
ひととひととがみんな違っているように、家族のなかでも、それぞれ違っていていいじゃありませんか。お互いに、お互いが大事にしている部分を尊重しあえば。
と言うか、少なくとも、触れないようにすれば。父は、祖父母の過去の選択について、蒸し返して文句を言ったことも、自分から触れたことも一度もありません。言っても、どうしようもないことですし。

まぁ、ただ、父が言うように、父が生まれ落ちた時から持たされた原風景・原点と、祖父母が選択した生き方とが正反対、矛盾するに至った点は、ひとつの家族としては不幸としか言いようがないのでしょうが・・。

父が言うように、過去生からの因果とか、カルマとか言うんでしょうか。人間には計り知れない、大きなスケールでの宿命なのかもしれません。

まあ!とにかく、こんなふうに、ひと(他者)との関係を深いところまで考えて、実行してしまった父、なによりも、こんな御時世に最高裁で勝ち、それを 梃子にして、職場の日本人労働者の人間としての誇りを守り切った父を誇りに思います。
この父親の娘でよかったと!

父は、決して地獄に落ちないですよ!
だって、メタトロンが守ってるんですもの!

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