6 紙ヒコーキ・・・#実験小説 #あまりにもあいまいな
「今もなお われらの記憶にのこる。このすべてのことは
いつかまた ふたたび めぐり来たらん。」リルケ「新詩集」
炭住は、会社の縮図だった。
労働者を分断するために、会社側は、御用組合である第2組合を捏ち上げていくのであるが、それ以前から労働者の間に分裂の兆しはあった。
人間なのだから、「労働」に対する考え方もいろいろあって当然である。しかし、社会主義思想は、そんな柔な人間性といったものは、情け容赦なく切り捨て、断罪していく。
会社内での、そんな分裂の兆しは、炭住内にも反映されてきていた。次第に大きくなっていった、会社内での対立は、そのまま、炭住での対立となった。
「あそこんちは、会社側げな」といったことが主婦たちの間で話題となり、当然、三池炭婦協の主婦たちは、会社側とみられた労働者の主婦たちと絶交するだけでなく、積極的に攻撃すらしていた。
「村八分」以上の徹底した攻撃ですらあった。炭住内は、緊張でピリピリしていた。
三井鉱山が、合理化のために希望退職を募ったのに端を発した「英雄なき113日間の闘い」を経て、労組が指名解雇を撤回させた。
労組は全面勝利宣言をしたが、実際には、6割もの指名解雇者が、自主退職していたのである。
ストライキ中は、当然賃金は支払われない。よっぽどの「活動家」でないかぎり、普通の生活者は「兵糧攻め」には耐えられない。
労組は、この事実をもっとしっかり「総括」すべであった。
表面的な「全面勝利」に酔い痴れ、「社会主義思想の勝利」と錯覚して、いっそう、頑なに「戦闘化」していくのである。
職場では、炭鉱現場労働者が事務労働者を吊るし上げし、炭住は、労組の解放区の様相を呈していた。
「英雄なき113日間の闘い」の労組側の「全面勝利」は、実は、更なる大闘争の前哨戦に過ぎなかった。
会社側は、苦肉の策として、セスナ機で「退職届(用紙)」をビラにして投下した。
巧たち幼児は、面白がって拾って遊んだ。大きい子が退職届のビラで紙ヒコーキを作ってくれた。
楽しそうに遊んでいる巧たちの手から、凄い剣幕で三池炭婦協の主婦たちが奪い取って行った。泣き叫ぶ子どもたちにも容赦なく、「こげなもん、汚らわしか!あそぶんじゃなか!」と言って叱った。
巧は、晴れ渡った青空、空高く飛んで来るセスナ機の姿と音と、空を舞う白いビラのイメージが強烈に印象に残っている。