おうちにはいたい、誰だって(仲口)

情報過多です。情報過多。

何か書きたいなと思うんですけど、書きたい欲求だけがあって

内容はどうしようかなという感じの日々です。


今Twitterではいろんなミュージシャンが発信したりしてる

ネットって便利で、誰かが音楽の一部を作れば

ほかの誰かがまたそこに何かを足していく。

これは素直に素晴らしいことなんですよ。

もちろんね、わかってる。わかってるんですけどね。

なんだか「何もしない自分」とこんなときにもキラキラで

#うちで過ごそう と高らかに、降りてきてくださるスター達。

そしてその周りのクリエイティブな人たちを相対化して

焦燥感に駆られ、無力さに潰されてしまっている人はいると思う。

これは誰も悪くないんだけどね、「ケッ!よろしゅうございますなぁ!」

くらいは心の中で(心の中でね。)言ってもいいと思ったりする。

そのままYouTube(Youtuberの皆さんありがとう。これは本当に。)でも見て、いやそこにもクリエイティブが…。

あそこにもクリエイティブ、どこにもクリエイティブ。


クリエイティブばっかかよ。


…ってことは、やっぱり”そういうこと”の存在価値ってのは捨てたもんじゃないんだなぁと。

”そういうこと”の端くれでも精々こんなもんです。

何かしなきゃいけないという気持ちは大事なのかもしれないけど

「何もしないをしている」んだっていいんです。


何もなくなってしまった生活を潜り抜けた収束の先の生活には

また何かできる日が来る。

世界の形みたいなものはそれ以前と以後で全く同じではないかもしれません

似たような別の世界になるのかもしれないけど。

まぁ、何もしなくてもいいです。

だっておうちにいようと言うだけで仕事の評価になっちゃう人たちですから

あの人たちは 笑


「雑談こそ最高のエンターテインメント」とは敬愛する鷲崎健さんの言葉。

この鬱屈とした時間が片付いたら、

どんな人でもみんなに最高のエンターテインメントが待ってます。


それまで僕はここで、

なんでもないを

なんでもなく、していこうと思います

あなたも何もしなかったり、したりしなかったりをしていきましょう


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?