【万物、なんでも「中庸」だと思うんですね】
先日、こんな記事を見つけました。
精神障害に関するシンポジウムのようですが、内容をぱれぱれ流に考察してみました。
意見の例(内容抜粋)
これを読むと、
「精神科ってなんてひどい」
「自分もメンタルヘルス不調だけど、絶対入院はするまい」
「認知症の家族がいるけど、精神科になんか入院させられない」
と、感じますよね。
これがまんま精神科なの?
確かにですね。
スタッフ教育が未熟だと、私情と仕事をないまぜにしてしまう人もいるので、上記のような事態は起こりえます。
というか、私も実際に見聞きしたことがあります。
しかしですね。
医療機関というのは、やはり人の命を預かるだけあって、自浄作用が働くことも多いんです。
一つの医療機関の中で、アンテナを働かせられる人が一人もいないということは、むしろ珍しいのではないかと感じるんですね。
残念なことは、その自浄作用が100%ではないことと、病院によってはアンテナ皆無のところがあるかもしれないということ、、
医師の発言をぱれぱれなりに解釈してみる
この医師の意見も、字面通りに受け取るのは危険かなと感じます。
正常な判断という言葉を使い、神のような物言いをする点には居丈高さを感じるところですが「困る人がいるのではないか」という一言は重みがあります。
ガンでも糖尿病でもなんでもそうだと思いますが、病気の威力は本当に目を張ります。
精神疾患の場合、昔は「狐憑き」などと言われたように、一般的な生活では理解できない言動を見せることがあります。
病気の力で無一文になったり、誰かを攻撃してしまったりすることがあるため、本人も家族も心底つらいと思うんです。
そんなとき、医療介入で本人がケロっと平穏な人に戻ることがあります。
そのような視点が上の話には隠れていると思います。
だから、なに?笑
だから、情報を自分の中に仕入れるときは「中庸」の意識が必要なんだろうなと思うんですね。
中庸って、真ん中のこと。
身長も血圧も性格も、ある程度の”平均域”に収まることで生きやすいですよね。
一方の情報を仕入れ、真に受け、「精神科やばい」と考えるのではなく、医療の実際にも目を向け、すぎた解釈や誇張された話を見つけようとするのが大切かな、と思うのでした。
今回の記事、大切なことを書いてるのですがタイトルは特にイメージ偏るので、つい揺り戻しをしたくなってしまい笑
精神科の問題、精神科医療ができること、双方の視点をまんべんなく仕入れたいものですね。
真ん中探しはセルフケアにも使えるのですが、そのお話はまた今度^^
解決をめざすカウンセリングルームを開きたい
ぱれぱれ