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【なんでも正論時代?〜価値観の活かし方を考えてみました〜】
あれもこれもダメと言われ、多様性とかいろいろ、どれもこれも気をつけて過ごさないといけない昨今に、少し疲れてしまうことも多いもの。悪いことではないはずなんですけどね。
一方で、「どんなことでもアリ」という考えに突き抜ける様子も多い印象なので、現代の「価値観」の“使われ方”をちょっと考えてみました。
なんでもアリ時代?
SNSの普及で、無名の人が発信する昨今。ワタシもそのクチですね。
それまで、発言の機会を得られなかった「少数派」が声を上げ、主張できるようになりました。
それは良いことでもあるのです。
ただ、それが行き過ぎて「なんでも正論」文化がつくられつつある印象もあってですね。
例を挙げるのがとても難しいのですけど、こんななイメージ…?↓
例1:子ども関連
〜親御さんの価値観例〜
●子どもを育てているのは自分。
●苦労はやったことのある人にしかわからない。
●自分が良いと思えば良い。自分が基準。
などなど。
子育ての価値観はとても多様で、“ワタシの価値観"が強化されやすいものの一つでもあるかもしれません。
先日、21:00過に居酒屋に入ったき、お母さんらしき友人同士と、その子どもたちが楽しそうに過ごしていました。未就学児数名と小2くらいの子たち。
21:30を過ぎた頃、子どもたちが飽きたのか店内を行ったり来たりし始めたんですね。
そのうち「うんち出たー」と、叫びながら子どもたちの走り回りがエスカレート。
店員さんは何も言わないし、場にそぐわない大声をオトナがたしなめることもありません。ワタシも例外ではなく、人のコだから親の倫理に任せるしかないと投げた一人。
ワタシも昭和の時代を語れる世代ではありませんが、一昔前は居酒屋で子どもを遊ばせることも、夜中に飲食店で『うんちうんち』と大声の子どもを“たしなめずに放置する”ことも、白い目で見られたでしょうし、親や周りが咎めたでしょうから無法地帯になることは無かったのではないかと思います。
例2:働く人関連
〜サラリーマンの価値観例〜
●毎日定時に上がれず、帰るのはいつも21時過ぎ。
●業務量の多さに配慮の無い上司や企業はあり得ない。
●ハラスメントにもなる状態。信じられない。
など。
産業保健で活動していると様々な企業の様子が伝わってくるのですが、こんな想いから実際にハラスメント通報をする、退職するなどの例が珍しくありません。
訝しく思う事案が発生した際、建設的な話し合いを試みずに声を上げる現象でしょうか。
定時で帰らせない会社が全て悪であるという価値観が突き抜けます。
これもやはり、いろいろな価値観の表現が見られるようになった例だと感じました。
なんでも正論って?
多くの人が「ちょっと変わっている」と感じる発言は、いままでの時代では主張力が無かったはず。自分の社会生活の中で出会える人の数はたかが知れていますから、その母数の中で自分の価値観を支持する人と出会うのはなかなか骨の折れることだったのではないかと思います。
ところが、現代のSNS社会では、あっという間に「万」を超える人とつながれます。
そうなると、例え少数派の価値観であっても母数が増える分、自分の味方に出会いやすくなるのかもしれない。
それが乗じて、自分の価値観は正しいという「なんでも正論」文化が出来上がるのかなぁ…なんて考えるのです。
発言が良い方に機能することも
障害者、性的マイノリティ、精神障害、戸籍問題、家族問題等々、日本の行きづらさは世界でも群を抜くでしょうから、そういう側面の声が世間に届くことは頼もしいことですよね。
昨今、パートナーシップ条例が各地で認められるようになったのは、当事者が一生懸命声を上げたため。
発信力を持てた結果、社会を変えることができているということは頼もしく感じます。
一方、少数派の意見を伝えることと、わがまま放題に過ごせる環境づくりとは異なるもの。
人と人のコミュケーションはお互いさまですから、「わたしがわたしが」ではなく、価値観の譲り合いをしながら穏やかに過ごせる社会が作れると良いな、と考えるのでした。
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