【他人への評価は自分の評価?】
伝統芸能を生業とする知人に聞いた話から。
少しややこしいけど、面白いハナシですよ^^
4分ほどで読めます。
伝統芸能 "家元" の体験談
日本の伝統芸能をやっている人は理解が素早いと思いますが…
伝統芸能って、ホント、お金がかかるんですよね。
着物はもちろん
小物
楽器
場所
BGMの人たち
などなど、単価がひとまず高い。
それに加えて、何かにつけて『チップ』を払う文化があります。
髪結いに来てくれた人に1万円渡すとか。
貸衣装の人に渡すとか。
ギャラを払っている上で行います。
そんな状況を見ていて、ある家元がこんなことを言ったそうです。
いやぁぁ・・素晴らしい心意気。
私も激しく同意しました。禿同です。
ところがですね、家元が発言をしたあと、こんなうわさが界隈で流れたのだそう。
人の評価は自分の評価
人を評価することって、ありますよね。
赤信号を平気の平左で渡る人がいたら「無神経な人だわ」とか。
業務量も見ずに仕事を振ってくる上司を見たら「何も見えていない人だ」とか。
今回の家元のハナシも、ようは人が人を評価した発言にトゲがあったというストーリー。
実はこれ、よく考えると、人のことを評価した言葉ではなく、自分そのものを評価した言葉だということに気づきます。
つまり、人に対する評価は、自分の価値観が基準になっているんですよね。
おおむねは。
『何も見えない人』と感じるのも、あなた嫌味な人ねとか、ケチねなども、自分が人に対してそう思う人だから、そういう価値観を持っているから、発言として出てきます。
家元を「お金に汚い」と評価をした周りの人は、自分たちが「お金に汚い価値観」を持っているからそう噂するのだということ。
人の評価を豊かにするためにできること
こう考えると、人への評価が豊かな人は、自分の価値観も豊かなのだと気づきます。
豊かでなくてうれしい人はそんなにいないと思うので、より豊かな自分になるためにできることを考えてみました。
それが、これ。
脊髄反射で発言しないということでしょうか。
人はフシギなもので、1分でも時間を置くと、新しいアイディアが生まれます。人の声が聞こえてきます。
家元の例を使うと、1分待てば、
「もしかしたらお金に汚いとかではない理由があるのかも…???」
なんてアイディアが生まれるかもしれない。
そこから行動力ある人は、
「なぜお金にシビアなんですか」
と、家元に聞けるかもしれない。
すると、家元の本当のねらいを理解でき、間違っても「お金に汚い」という発想にはならないはず。
結果的に豊かな自分獲得につながります。
難しい~ハナシですが、一呼吸おく、やってみる価値あると思うのでした^^
メンタルヘルス相談ぱれぱれ