2015/11/3~11/6 再入院と転院
11/3
退院後はじめて公園で点ちゃんを遊ばせた。
点ちゃんは久しぶりの外がうれしそうだった。私たちも嬉しかった。
サッカーなんていつもは全然しないのにサッカーボールを蹴る小学校1年生の兄の線くん。ゆるくころころと転がるボールをナイスキャッチする点ちゃん。
つくりもののように幸せな家族の光景が動画に残っている。
11/4朝
ごきげんな寝起き、でも何かがおかしいと感じる。
点ちゃんの胸に聴診器を当てると脈拍が170を越えていた。
登校の準備を終えたばかりの線くんを大急ぎでお隣さんの家に連れて行き、小学校へ送り出してもらうようにお願いしてB病院へ。もし学校から帰ってもお母さんがいなかったら、このお家に帰るようにと伝えてもらう。入院するかもしれない。
7:40ワソラン静脈注入処置開始。
そのまま入院が決まった。
まさかこんなにすぐ再入院すると思っていなかった。
ちゃんと内服のワソランは飲んでいたのに。
しかも今回は前回の入院と明らかに様子が違った。
前回は静脈注射後、ものの5~10分くらいで驚くほど脈が落ち着いていたのが、今回はなかなか正常な脈に戻らない。
その様子を見て体重量MAXまでワソランの量を増やすことになったけれど、それでも静注してもすぐに不安定な単発の不整脈が見られ、脈拍120~140あたりをさまよっているうちに、また2.3時間おきに次のVT発作でアラームが鳴り響く。
アラーム音がこわい。
そりたった山が細かく立ち並ぶギザギザのQRS、点ちゃんの頻拍発作の波形。
発作が起こるたびアラーム解除のボタンを押しナースコールを押す。
ふたりともうとうとするけれどちゃんと眠れない。
点ちゃんは発熱した。38℃から40℃に。
汗で髪が貼りついたおでこが熱い。それでもそんな高熱でも発作が起こっていても点ちゃんは笑顔を見せてくれる、今起こっていることが嘘のように。私も点ちゃんの前では絶対に笑顔でいたかった。どんなに暗澹とした気持ちでも。
昼夜かまわず1日中この状態が続いた。
11/6深夜
「お母さんもうここでは対応できません」「A病院に連絡をとってあります、今から救急車で搬送します」「私も同行します」
B病院の先生がずっとA病院のS先生と点ちゃんの病状を連絡を取り合っていたことで速やかな転院が決まった。
急いで身支度をする、まるで夜逃げするみたいに、慌てて全部を詰め込んだ。
この病棟でお借りしていた点ちゃんがとても気に入っていたおもちゃがあった。
押すと音楽のなるおもちゃ。
すみません、これをお借りしていってもいいですか。絶対お返しにきますので。
この先起こる事が分からず行く場所も知らず、不安で、何かすがるものが必要で、必要でないものが必要で、思わずお願いした。
看護師さんは快く貸してくださった。
3:00に救急車でB病院を出て、3:13にA病院に到着した。
救急車はこんなにゆっくり走るのか。サイレンはこんなに間延びした音だったか。本当は速かったのかもしれない。安全のための慎重な運転なのか、自分の感覚のせいなのか分からない。真っ黒な闇の向こうからぼうっと浮かび現れる白いセンターライン、ちかちか点灯する深夜の信号機、人のいないよく知った街の深夜を救急車で遡る。心がはやりながらも現実感が伴わない。抱っこをしてはいけないから、ずっと横たわる点ちゃんの体をさすって、ここにいるからねと伝え続ける。
救急車を降りるとすぐに小児病棟処置室に運ばれ、B病院の先生とA病院の6人の医師が点ちゃんを囲み、処置がはじまる。
ワソラン、アンカロン、インデラル、様々な不整脈の薬を静脈注入することになった。
点ちゃんの顔が紫色に変わり、痙攣し出した。
慌ただしく酸素吸入が始まる。
その時はじめて、点ちゃんがいなくなるかもしれないという恐怖が全身に覆いかぶさってきた。私は大声を出して何度も名前を呼んでいたと思う。
てんちゃんてんちゃんと何度も呼んだ。
処置の邪魔だったかもしれないけれど、点ちゃんのどこかに触れていたくてずっと足のつま先に触り続けた。
目の端に映る多分研修中の若い医師たちが何かにうろたえている。
それを看護師が叱りつけていた。
S先生は冷静な顔で、「よし、ダブルチェックだ」と注射器の確認を促す。
モニターを確認しながら、ゆっくりと、点ちゃんに静脈注射していく。
そうして2時間の時間をかけて静脈注射を続け、明け方5時頃、やっと脈拍が安定した。