【フランス留学】いつかホームパーティを沸かせたい
人生初のホームパーティ
初めてホームパーティーに招待された。
きっかけは、同じ日本人の女性と偶然街で出会ったことだった。留学先は小さな街だが、私の大学以外にもいくつか大学があり、彼女はビジネス系の大学に通っていた。A子と呼びたいと思う。
A子のルームメイトのメキシコ人が毎週のごとく自宅でホームパーティーを開催しているらしく、そこにゲストとして呼ばれたのだった。
かつてパーティーなどの浮かれたイベントへの参加経験は皆無。A子を除き参加者全員が初対面なため、最初は参加を渋った。とは言いつつも何かしらの人生経験にはなるだろうと思い、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、いや、真冬のセーヌ川に飛び込む気持ちで参加してみた。
パーティ当日
パーティー会場はA子のシェアハウスのアパート。
私がアパート前に到着すると、DunDunとBGMが建物全体から盛大に漏れ出している。パリピの巣窟なのだろう。緊張感が増す。
パーティーの参加人数は15名ほど。
参加者は、主催者がメキシコ人とのこともあり、メキシコ人、スペイン人、モロッコ人などラテン系が主で、あとは我々日本人2名、フランス人数名、アメリカ人、インド人、ベトナム人が1人づつであった。
各々自分の母国料理を持ち寄ってきており、お酒を飲みつつ、色んな国の料理を堪能し、たわいもない時間を過ごした。
案外会場はウェルカムな雰囲気で満ちており、すぐに場に馴染むことが出来た。
事前に心配したほどではなく杞憂に終わった。
杞憂に終わってはいなかった
しばらくすると酔っぱらったメキシコ人たちが大音量でラテン音楽をかけ踊り始めた。スペイン人たちもクネクネと踊り出す。しまいにはその場にいる全員が踊りだしてしまった。
私とベトナム人を除いて。
恐れていた事態が起こってしまった。
最後に踊ったのはソーラン節以来である。大学時代にナイトクラブに数度友達から連行されたことはあるが、借りてきた猫ばりに、じっと薄暗いボックスの隅に陣をとり、アルコールで頭をやられ忘我の境地でダンスマシンと化した連中を睨みつけ、末人と吐き捨てていた。
(心の中では私もダンスをしたいのだ、これはシンプルに嫉妬である。しかし、自信のなさが私にそうさせていた。)
そんな私がホームパーティで踊れる訳がない。踊ってもみろ、羞恥心が臨界点に達し爆ぜ死ぬことは確実だ。
逃亡
結果私がとった行動は、いぶし銀な日本人を気取り、踊り狂う連中を尻目にベランダで煙草をふかして、スンと澄ましてみせることくらいだった。実質的な脱出である。
どうやら、ベトナム人の女性もダンスに参加する気はないらしく部屋の片隅でじっとしているようだ。借りてきた猫が(私を含め)もう1匹いる。猛烈な親近感が湧いた。彼女とならすごく仲良くなれそうな気がする。
ちなみにこのホームパーティから3年後、私は青年海外協力隊でベトナムに行くことになる。華麗な伏線回収である。
A子に関しては、毎週ホームパーティーが自宅で開催されるのもあり、慣れた様子で上手くリズムに乗って踊っていた。環境が人を作るとはこのこと。
ベランダで終始タバコを吸っていたらタバコが無くなってしまった。アメリカ人の参加者が度々ベランダにタバコを吸いに出てきていたので、その都度タバコを頂戴していたが、その構図が日本とアメリカの政治における縮図のような気がして寒気がした。外が寒かったということにしておこう。
インド人すごいわ
一番驚いたのは、唯一のインド人、Pの社交能力であった。彼はラテン音楽に合わせ、インド風のダンスで楽しく一緒に踊っていた。音楽とダンスが素人目に見ても全然マッチしていない気がするが本人はそんな小さなことは気にしないようであった。
しまいには、「インドの音楽の方がラテン音楽より盛り上がる!」と啖呵をきり、その場の誰一人知らないであろうヒンディー語の音楽を流し始めた。独特なアップテンポの民族音楽と、両手を大きく振り上げるインドの伝統的な踊りで沸かせ、気が付けばPが場を乗っ取っていた。
爆音のインド音楽に頭がクラクラする。ここはインドか?香辛料の幻臭がしてきた。
私に白羽の矢が
そんな中、「ツキノワグマ!次はお前が日本の曲をかけてくれよ!」とのリクエストがあった。
恐れていた事態が起こってしまった(2回目)。
当然、一曲もクラブ音楽の類は知らない。
散々悩んだ挙句、椎名林檎の「永く短い祭り」をかけてみた。
が、わずか10秒ほどで「これは寝る用の音楽だ」と切り捨てられ、すぐにラテン音楽に切り替えられた。寝る用の音楽じゃないわ!
惨敗であった。悩んだ時間の方が、音楽がかかっていた時間よりも長かった。
A子曰く、A子自身もよく日本の曲のリクエストを受けるらしいが、過去に盛り上がった試しが無いらしい。
A子とともに、ラテン音楽に対抗できる日本の曲はないかとウンウン思案した。インドの曲でも盛り上がったのである。盛り上がる日本の曲がないことがあろうか(いや、ない)。
が、結局答えは出なかった。千と千尋の神隠しのカマジイばりに引き出しを探してみたが、引き出しはそもそも空っぽだった。
いっそのこと炭坑節でも流し、私とA子が盆踊りをすることを提案したが、A子の必死の抵抗により諦めた。今振り返っても、止めてくれたA子に感謝している。
そんなこんなでパーティーは続き、私は途中で疲れ果て早めに帰宅した。
A子曰く、深夜2時までみんなで踊り、その後クラブに行ってまた踊ったそうである。なんという体力。
それから
日本に帰国した今ではあるが、絶対にいつかホームパーティを沸かせる夢は捨てていない。
そう決心して今日も三線の練習に励むのである。
p.s. 海外で盛り上がる、みんなで踊れる日本の曲あったら教えてください。