2022年大晦日、 私はこの一年嬉しかったことを お気に入りのノートに箇条書きにしてみた。 振り返ると、素晴らしい一年だったと思う。 その中でも 一番幸せに感じたことは、 父を完璧な状態で見送れたことだろうか。 2022年初め、父が急に弱くなり 病院が隣接している高齢者施設に 自ら希望して移ったのが2月。 主治医の先生から 「危篤で今晩が山場です」とメールが届き、 急いで日本に帰国した2月末。 当時はまだ日本に帰国すると隔離期間があったけれど、 主治医の先生からの診断書
2020年、2021年と いろんなことが起こり 忘れられない年となったが 今年、2022年も 私にとっては ギューギューの 濃い年になりそうだ。 3月に父が他界し 急遽日本に帰り、 5月、パリに戻る。 その後、母(父とは40年ほど前に離婚)の 終の棲家となるであろう、 シェアハウスへの引っ越しのために 6月に1ヶ月弱日本に一時帰国した。 このシェアハウスは フランスからインターネットで 偶然見つけたところだ。 母がそれまで住んでいたアパートは、 高齢者の一人暮らしとい
今フランスで起きていること、 それはパスサニテール、つまりワクチンパスポートの導入である。 8月9日から、ワクチンを受けていない人、 もしくは48時間以内のPCR検査陰性証明がなければ、 カフェ、レストラン、美術館、コンサートなどに入れなくなるのだ。 「ちょっと疲れたから、 コーヒーでも飲もうかな」と思っても、 それが出来なくなる。 そんなおかしなことが、 この自由の国フランスで、あり得るのか?と 最初はたかを括っていたが、 これが施行されることになる。 会社に行くにもパ
急に引っ越しがしたくなって ここマレ地区の古いアパルトマンに 住んだのが2019年の10月。 前の家が嫌だったわけでも 飽きたわけでもなかった。 突然引っ越そうと決めて、 インターネットで見て一目惚れ。 翌日見学をして、即決だった。 よく考えると、東京の家を含め 今まで家選びに迷ったことはない。 一度目の見学で気に入って すぐに契約というパターンだ。 他も見てみようと思ったことが 一度もなかった。 そして、一度も後悔をしたことがない。 どの部屋も「ここが一番!」と思えたし、
こんなタイトルをつけると、 まるで『美しき緑の星』そのものが パリであるかのようだけれど、 もちろんそうではない。 1996年、主役も演じている コリーヌ・セロー監督の映画で、 他の星に住んでいるミラが、地球にやってきて 人々を次々と覚醒させ、 本来の自分に気づかせるという、 今ならすんなり受け入れられそうなストーリー。 その映画の舞台となるのがパリだ。 1996年、私はフランス映画にも フランスにさえも、 とりたてて興味を持っていなかった。 80年代はアメリカ映画を楽しみ
数日前のことだ。 ちらっと入ったクラハのルームで スピーカーに招待され、 せっかくなので上にあがった。 すると、いきなり 「パリに住んでらっしゃるんですね! コロナはどうですか? ワクチンは、もうお済みですか?」 と聞かれた。 私は想像もしなかった唐突な質問に、 「コロナはあまり意識していないので わかりませんが、普通に生活しています。 ワクチンは打つ予定はないです。」 と、正直に答えた。 期待はずれの答えだったのか、 意識していないということにビックリされたのか、 それと
このところ、家に閉じこもって 一日中仕事をする日が続いたので、 今日の午後は、お気に入りのレインコートで 外の空気を吸いに出かけた。 カフェのテラスのみが解禁になり、 通りはますますにぎやかになった。 ますます…とあえて書いたのは、 カフェが閉まっていた時でも 道端や公園で立ち止まって、 コーヒーやワインを飲みながら おしゃべりする人がたくさんいたからだ。 だから、フランスは再びロックダウン…と 日本のニュースで流れたようだけれど、 実際はそんなことはどこ吹く風…であった。
昨日から、半年ぶり(たぶん)に パリのレストランやカフェが テラス席のみ再開になった。 フランス人は真冬でもテラス席が大好き。 長い間、テラス席用のテーブルや椅子が 閉店しているカフェの中に積まれているのを ガラス越しから見ていたので、 私もこの日を待ちに待っていた。 しかし、仕事で缶詰だったことや 溜まっていた疲れが一気に出て、 昨日は外出ができず 久しぶりのカフェ体験ができなかった。 私はいつも相当元気なので、 ちょっと疲れただけで すごく重病にでもかかったような感覚
フランスで暮らすようになって、 日本で当たり前のように していたことができなくなったり、 する必要がなくなったりと、 私の生活習慣が随分変わったと思う。 最初の頃、一番緊張したのが シャワーに要する時間だ。 一人暮らしなので、普段は全然問題ないのだが 人のお宅に泊まったりすると、 そうはいかない。 お湯は、一軒にひとつずつある それほど大きくないタンクで 沸かしたものを使うので、 日本にいた時のようにジャンジャン使うと、 次の人がシャワーを浴びている最中に 冷たい水になって
パリに住み始めて5年半になる。 フランス語は難しいけれど、 日本語もなかなか難しく、 そして、おもしろいと思う。 たとえば、「雨が降っています」というのを 実際に話し言葉では、 ほとんど助詞の「が」は使わず、 「雨降ってる」「雨降ってるよ」 「雨降ってるじゃん」 「雨降ってるわ」「雨降ってるし」など、 いろいろで「降ってる」だけでも 雨であることは状況でわかる。 語尾に何をつけるかで、ニュアンスや その人の性格や特徴さえも、 想像できたりする。 しかし、フランス語で 「雨が
今日、ある仕事の案件で、 パリ7区にあるパティスリーを訪ねた。 そこは、ここ数年で大人気となった店だ。 シェフもパティシエ達も全て日本人だが、 あえて柚子や抹茶などを使わず、 ザ・フランスなケーキのみで勝負している。 以前は知る人ぞ知るパティスリーだったが、 数年前に、人気テレビ番組で 優勝したのがきっかけで 今や長蛇の列ができる人気店。 その番組は、人気パティシエであり スターシェフでもある シリル・リニャックが司会をし、 ピエール・エルメや フィリップ・コンティチーニな
3年前、日本に帰った時に立ち寄った 三省堂書店で平積みされていた本。 「かみさまは小学5年生」というタイトルに、 私は吸い寄せられるように近づいた。 著者は「すみれ」と書かれていて、 帯には「空の上の記憶を持ったまま 育った女の子」とある。 もう、それだけでワクワクした。 私は中身も確認せずに、 すぐに購入したが、 読むのがもったいなくて 帰りの飛行機の中で読むことにした。 私が胎内記憶に興味を持ったのは、 すみれちゃんの、この本がキッカケだと思う。 飛行機の中で、 言
パリに住む前のことだが、 フランスによく旅行するようになって 気づいたことがある。 フランスでは、 人と会う時だけではなく、 お店に入る時や、 道で誰かに何かを尋ねるときにも、 どんな時も、 まず必ず "Bonjour !" つまり、「こんにちは!」というのだ。 道ですれ違う見知らぬ人や、 ホームレスの人とも、 目が合えば、Bonjourと言う時もある。 これはフランスに限らないと思う。 黙ってお店に入るのは日本だけだろうか? それに気付きだしてから、 「こんにちは」が
パリの街を歩くと、 子供をたくさん見かける。 パリの好きなところの一つだ。 東京にいた時は、 こんなにたくさんの子供に 遭遇した記憶がない。 公園はあったけれど、 子供が遊んでいるというより、 ベンチで休んでいる サラリーマンがちらほら。 ガラーンとした印象だった。 フランスで子供が日本より多いのは、 おそらく、女性が働きやすいことや、 養育手当が充実していることなど いろいろな理由があると思う。 そして、私の住むマレ地区では とても新鮮で、 素敵な親子たちをよく見かける
私がフランスに来る 一年くらい前だっただろうか? フランスに行きたいけれど、 家族のことや元夫のことなど 問題は山積みで、 でも、どうしてもこのままではいられない、 と思い悩んでいた時だったと思う。 それを知ってか知らずか、 友人の一人が一冊の本をくれた。 『喜びから人生を生きる! 臨死体験が教えてくれたこと』という 香港で育ったインド人女性が書いた本だ。 身体中に癌ができ、昏睡状態の著者が 臨死体験で見たもの・・・ それは、すべての存在が無条件の愛であり、 地球のすべ
昨年出した電子書籍を 一番読んで欲しい人がいた。 冒頭から登場する、友人の和子さん。 自分の好きなように生きてみよう、 フランスで暮らそう、 その一歩を踏み出すキッカケをくれた人だ。 今思うと、 「私は和子さんのおかげで、 こんなに幸せに生きています」 そんなふうに、本を通して 和子さんに伝えたかったのかもしれない。 本を出版した11月、 私は和子さんに連絡をするつもりでいた。 でも、なんとなく、 もうこの地球にはいないような気がして、 そして、それを知るのが少し怖くて、