エクストリーム帰寮2022
20kmを選択しました。電話がかかってきて、車に乗り込んで、出発。愉快な後部座席の方々は10kmで降りた。
目隠しをしながら、運転手のおにいさんと喋る。前に参加したエクストリーム帰寮の話とか、今日一日何したかとか。色々喋りながら、20kmか〜、どうだろうな〜、どこら辺だろうな〜、さすがに山奥とかは20kmとかは無いと思うんですよね〜、とか予想したり。そろそろですね、と言って、嫌な予感。車はトンネルを進んでいる。
5kmって見えましたね(笑)と運転者は言う。自分はトンネルが苦手である。特に、トンネルを歩くのが、本当に怖くて、気が狂いそうになる。存在が確認できない車を音源として無限に地響きがこだまする中、こっち側まであと2.5km&あっち側まであと2.5km、の標識の、どちらにも逃げられなさには、いつも通りではいられなくさせる要素が詰まり詰まっている。
トンネルを抜けて、料金は〇〇円です、と車搭載ETCマシーンのお姉さんが告げて、エクストリーム帰寮ってエクストリームだったということを思い出した。舐めていた、完全に。
着きました。運転者はキャラメルをくれた。君には本当に頑張って欲しい、本当に頑張って欲しい。強く手を握りながら言われた。いけそう?と確認され、多分行けるんじゃないですかね、と応える。さすがにスタート地点で引き下がることはできない。
車がいなくなって、真っ暗になった。山道。こっち側は10mくらい下に川が流れていて、あっち側は、私有林につき立ち入り禁止。
想像以上に山だ。あっちもこっちも、そっちもこっちも山だ。抜けられる気がしない。けど、やるしかない。
看板を探す。基本の攻略法。ここは宇治市西笠取。宇治か、随分南だなと思った。南の方の距離感が全くなかったのは盲点だった。滋賀方面は草津、京都の北西だと神護寺とか桂キャンパスかなとかあたりはついていたけど、宇治か。けど、熊野寮より南にいることはわかる。空を見る。都市の光は空を照らす。看板と、宇治と熊野の位置関係を勘案して、だいたいのあたりをつける。西からのこの光は、目指すべき光だ。
縦に続く道を北上する。2kmにわたって民家が100軒あるような集落。山と山に挟まれて、野外学習センター、農地、川、小さいキャンプ場が点々と連なる。
空は曇っていて星は見えない。もちろん道に誰もいないし、民家に明かりはついていない。午前2時だ。山に貼り付いたサナトリウムだけが、誰のためでもない光を灯し続けている。
なんでこんなことをしている?
やりたかったからだろう。
なんでこんな馬鹿なことをしている?
なんでこんな馬鹿なことをしている?
歩くしかない。
歩く。一本道は進むか戻るしかない。自分の信じた道を歩くしかない。怖い。2年前に参加したエクストリーム帰寮では、同伴者が1人いてくれたことが、どんなに心強かったということが思い知らされる。
自分は怖がりである。真夜中の南禅寺は、畏れ多くて冷静になれない。人間の力を超えた、巨大なものの存在を感じるからである。自分はその手のひらの中にいて、ともすればひとひねりで自分の命も消えてしまう。
こんな真夜中に、霊魂の多く集う山道という場所を、歩くこと自体が烏滸がましい。幽霊や、鹿の突進、落石、いかなる手段で報復されても、何も言えないと思った。
集落が終わる。看板がある。「この先、自動車、バイクでは通り抜けできません」できません。どういうこと?不正解じゃないか?こっちに文明は無いという事じゃないか?闇の中を4時間くらい歩くはめになるんじゃないか?看板の向こうに続く道はいよいよ灯りがひとつも無くなって、闇、闇、闇、真っ黒である。ここを歩いていくのか…歩くしかない……………………
真っ暗闇の林道を歩く。アスファルトはとっくに撤退している。2歩、3歩横には崖が、死が待ち伏せている。反対側には、闇に包まれた木が、時には人の形、時には俺を刺すなにものかにも見えてくる。月は出ていない、灯りは街の灯りで照らされた空だけだ。木が生い茂るスポットでは3m先のことさえも分からなくなる。暗闇に目が慣れることにも限界がある、見えない範囲もあるのだ。
冷静になれば気が狂ってしまう、どうにかして感覚を閉ざすしかない。持ってきた手袋をはめて、せめて触覚だけでも鈍らせる。歩くしかない。ずっとずっと登り坂だ。寒さ対策の為に着たヒートテックでどんどん体が暑くなる。暑い、汗をかいている。びしょびしょになってくる。歩きながら水を飲む。止まることはできない、止まったら冷静になる、冷静になったら、気がおかしくなる。進むしかない。こんな所で動けなくなっても無事助けに見つかるかもわからない。けど、合っているのか?自分の進む道は合っているのか?戻れば、また同じこと。進むしかない。進むしかない!
生きるか死ぬか、その時に出来ることは、考えること、それしかない。考える。絶対こっちが正しい、いつか絶対着く、あとは、信じるしかない。
いつまで続く?カーブを曲がればまた闇が続く。また今回も、また今回も、と何度も続く。8回目か9回目、1時間くらいがむしゃらに昇っていただろうか、そこに見えてきたのは、道の光だった。人の温かみー
信じて歩く、信じて歩く、三叉路に出る。展望台かと思うような広場を設けた三叉路に出る。進行方向左手には道の灯りが、真っ直ぐは依然として闇である。看板を見る。考えろ。
これは醍醐寺方面を選ぶのが正しい。
さすがに山の頂上からしか参拝出来ないはずがない、そんなふうにあたりを付けながら、信じて山を下る、この道の先は、醍醐寺は、また他の山の麓にあるのではないかと言う不安がよぎる。信じるしかない、滑落しそうな山道を大文字山のようだなと思いながら降りる。山岳信仰があるらしく、石が積まれている。人の願いがこもったものは霊的で、畏れ多く、怖い。血で書いたのかと思うくらいの赤の数字を書いた看板が木にぶら下げられ、三叉路の19からカウントダウンして行く。大丈夫、着実にゴールには向かっている。
16。
11。
8.5。
4。
2。
1。
建物だ。
アスファルトだ。
着いた。
峠を越した。
勝った。
山に向かってお辞儀をして、街の方へ向かって歩く。ライオンズクラブの街看板はエクストリーム帰寮のためにある。ここは東西線の端の方。醍醐って山科の方にあったのか、知らなかった。
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