フランス留学するまでの道のり Part1
こんにちは。ぱれすぅ〜です。
今回は、とある日本人大学生がフランスへ個人留学するまでの下積みのお話part1です。
この「フランス留学するまでの道のり」という題で綴るブログのテーマは
過去の自分が未来へ導く。
です。
ここ10年の生き方を振り返ると、不思議なほど芋づる式に全ての経験がつながっているのです。
とある大先輩は次のような言葉をぱれすぅ〜に授けてくださいました。
「研究者は先が見えずつらくなる時もあるけれど、そんな中でも10年後の自分を想像して、その理想に向かって努力していったらいい」
この言葉は捉え方次第で変わってくると思います。
今のぱれすぅ〜の捉え方では、
「いくら未来を想像したところで実際の未来は理想通りではないですが、パッと陽気な気持ちになる未来を目指しながら生きていると思いがけない好奇も引き寄せうるから、自分の未来を信じよう」
というメッセージにも思えます。
実際に、10年前のぱれすぅ〜はバレエダンサーを目指してもがき苦しんでいましたが、その経験がその当時は想像できなかった「味わいのある今」を作っているように思えるのです。
この記事では、そうなっていった過程の一部を書いていこうと思います。
バレエ少女時代
ここは語り出すとキリがないので、簡単に書きます。
6歳で初め、小学2年でバレエダンサーの夢を持ったぱれすぅ〜は、中学から高校にかけてスランプに入りました。
振付や技術を身につけていっても、踊る楽しさが湧いてくるどころかどんどん自分の感情を閉じ込め、表現力がない踊りしかできなかった…。
コンクールでもいい結果は残らず。
高二まで結果が出なかったら、大学進学を目指すという母との約束もあり、高二の春、思い切ってフランスのバレエ学校の現地受験をしました。その結果、パリにある私立学校の入学許可をもらいました。
高二の秋、高校は休学して一年パリに留学。留学の終盤他のバレエ学校も受けましたが全滅。バレエの道は諦めることにしました。
分岐点1. パリ留学による、高校時代の進路変更
日本に帰国した際、大学受験に専念しました。バレエとは完全に縁を切ってやる!くらいの勢いだったのですが、選んだ進路先は外国語学部(フランス語専攻)一択で、高校時代のフランス・バレエ留学がきっかけで私の進路を180度変えることに。
留学前までは文武両道に励む中、勉強はもっぱら理系派でした。国語は壊滅的だった一方数学はまったく苦ではなく、規則がはっきりしているものが好きでした。
しかし、初めてのフランス留学の中で、なんで勉強するのかという問題意識の対象が大きく変化したのです。
その留学では、バレエ学校だけでなく語学学校にも通っていました。
初めて長期間親元を離れ、かつ、英語がほとんど通じない世界に一人で飛び込み…。
当時フランス語はあいさつとバレエ用語しか知らず、コミュニケーションはほとんど取れない状況でした。
ホームステイ先のマダム・パリジェンヌはたまたま英語を使って働いていた方だったため家の中では大丈夫でしたが、バレエ学校では授業変更のアナウンスや先生の指摘がくるたびヒヤヒヤしていてw語学学校は私と同じようなフランス語初心者が揃っていたので、入りは英語でのコミュニケーションだったと記憶しています。
と、このように言語のハンデからくる不自由さを実感した際、最初は無口で生きていたぱれすぅ〜も「喋りたい欲」がじわじわと出てくるようになりました。
それまでは勉強の一環としての英語だったのが、「生活の中に生きるツール」だと身を持って実感したのです。
また、語学学校でフランス語を学び始めた際、フランス語は発音や文法が難解である一方、日本語以上に規則的で論理がはっきりしている言語だと思い、理系脳であるぱれすぅ〜にとっては惹かれるものがありました。
そして、私が進路変更した最大の要因は、「外国人の上の世代の人たちとの出会い」でした。
バレエの世界しか見ていない高校生にとってフランス語や英語で聞く価値観や教養は刺激的で、いわゆる大人の知的な渋みに憧れを持つようになると同時に、己の無知さに愕然としました。
もっと教養を身につけ、日本人の個性的な美徳や価値観に囚われることなく、グローバルな場の議論に加わりたい!と言った探究心で溢れたのです。
話は冒頭に戻りバレエとは一旦おさらばするのですが、この時点で一旦日本に帰り色々準備し直してから再渡仏しようと気持ちに切り替わっていました。ある意味、当初の留学目的(バレエダンサーになるための鍛錬)として選んだこの土地での経験が、未来の展望を変えてしまったのです。
This is Paris magic!w
大学受験に全力投球!しかし…
このように高校時代の貴重な経験からスイッチが入ったぱれすぅ〜は猛勉強!
ただ、その当時行ってた高校が海外に理解のなかったもので、受験生としてのサポートはほぼないに等しく苦戦しました(高校の悪口なら今でもいくらでも語れますwこの間、フランス人の大家さんにもその話をしたら「ありえない。おかしい。」と言われました。まあここでは軽く書きます)。というのも、最初の登録が理系だから、文転はできないというのです。
その当時推薦入試を狙っていたぱれすぅ〜はそれを了承した上で、受験に必要のない理系科目(物理、化学、数学、地理)の好成績(全部上位入りでしたw)を残しながら、独学で世界史とフランス語と英語をやり、センターで倫理もやっておいて、、、と脳みそが溶けるんじゃないかと思うほど過労働でしたw
それも未来の自分のためと思い我慢していました。
ただでさえ、パリ留学一年はフランス語とバレエで精一杯で、高校の勉強なんてしていないので、もうギュウギュウに詰め込んで。
しかし!
受験直前の9月になって、「あなたの留学は公欠扱いにならないから、推薦の資格なし」と言われたのです!
おい!「あなたの成績なら推薦いける」と言ったのは誰だ!!!
しかも、理系教科の点数がいいことに、担当教員からは「理系大学も受けないか」と言われる始末。
怒り、悔しさ、苦しさと同時に意識が遠のいていくような錯覚を覚えました。
普段はあまり感情を表に出さないぱれすぅ〜(どちらかといえば、ボーとしているタイプ)も、人前で泣きじゃくりました。
そして、大学受験は惨敗。
センター利用で滑り止めで受けた大学に入ることにしました。
受験が終わった直後は、精神的にも肉体的(脳内)にも全力を出し切り放心状態で、とても浪人できるような状況ではありませんでした。ぱれすぅ〜はあまりの結果の悪さにヘラヘラ笑ったのを見て母に叱られ浪人を勧められましたが、そうして現状をあざ笑って自分の不出来を認めて「諦めの姿勢」でいないといけないくらい追い詰められていたんだと思います。
両親はその後、浪人せず私立大学に入ることを認めてくれました。
今思い返すと、
・海外にゆかりも縁もない二人が留学を送り出してくれたこと
・学費も高い私立大学に通わせてくれたこと
そして
・「フランスに再び行く」という夢に対して諦めないように・より有意義な経験ができるように上京させてくれたこと
感謝しかありません。
その後、私が行きたかった大学に行けなかったことで若干の確執があったのは確かですが、ぱれすぅ〜の冒険物語はまだ始まったに過ぎません。
Part2では大飛躍します!
お楽しみに!
では、また〜!
※追記
stand.fmにて音声配信を始めました。
内容はこの記事と似ていますが、実際に話してみるとブログを書いていた時には思い浮かばなかったことも浮かんできて、結果的に違った内容も盛り込まれて驚きました。興味がありましたら、聴いてみてください。