『MIU404』第4話 負け続けた女が挑んだ最後の"賭け"
「賭けてみます。今まで勝ったことないけど」
そう青池透子(美村里江)はやるせなく笑った。『MIU404』第4話は、いつも負けてばかりいた女が、最後の"賭け"に挑んだ回だった。
野木亜紀子は、気が弱い人や声が小さい人の痛みや叫びを代弁する
大都会・銀座で起きた白昼堂々の発砲事件。怪我を負いながらも、その場から逃走したのは元ホステスの青池透子。彼女は1億円もの大金を所持していると言う。なぜ彼女はそんな多額の現金を持っているのか。防犯カメラに残された青池透子の何か言いたそうな瞳に惹かれた伊吹(綾野剛)は志摩(星野源)とともにその足取りを追う。
『アンナチュラル』(2018年、TBS系)の頃から一貫して、野木亜紀子の脚本は社会で生きる名もなき人々に対して優しかった。野木の脚本家としての姿勢を感じさせる台詞が『アンナチュラル』にあるので、そのまま引用する。
「気が弱い人や声が小さい人が損しちゃう世の中なのよね、悲しいかな。そういう人の味方をするのが弁護士の仕事」
そう主人公である三澄ミコト(石原さとみ)の義理の母・夏代(薬師丸ひろ子)は言った。神経の図太い人がのさばり、声の大きい人ばかりが得をするこの時代に、被害を受け、我慢を強いられるのは、いつも気が弱い人や声が小さい人だ。だからこそ、野木はテレビドラマという影響力のある場を用いて、世間に埋もれがちな気が弱い人や声が小さい人の痛みや叫びを代弁してきた。
今回描かれた青池透子もそのひとりだろう。ホステス時代に裏カジノで多額の借金をつくった青池透子は、返済のために風俗に沈められた。さらに裏カジノの摘発により自らも逮捕。執行猶予はついたものの前科の烙印は重く、一般企業への再就職は困難を極めた。
そして、やっとの思いで入社したPCショップも、化けの皮を剥いだら暴力団と深く関わりのある企業だった。
「前科がある分誰よりもしっかり働こう。」
そうツブッターでつぶやいていた青池透子はそのことを知って、どれだけ絶望しただろうか。
「ハロワで紹介された会社だったのに。」「笑ってしまう。」「わたしはまた、ボーの下で働いていたのか。」
そう青池透子はつぶやきを残し、再就職先のPCショップの前で撮った笑顔の写真を握り潰した。
青池透子の最期は決して可哀相なんかじゃない
会社のお金を横領した彼女はやっぱり間違っていたと思う。もう一度道を踏み外したのは、他ならぬ彼女自身だ。それでも僕には彼女自身を責めることはできなかった。それは第3話で語られた「正しい道に戻れる人もいれば、取り返しがつかなくなる人もいる」という志摩の台詞が今も胸にこびりついているから。青池透子は出会えなかっただけなのだ、自分を正しい道に引き戻してくれる誰かに。
「いいことをするには、心の余裕と金銭的余裕がいる」と志摩は言った。その言葉通り、青池透子には心の余裕も金銭的余裕もなかった。手取りは14万円。半額で買ったスーパーの惣菜をぼそぼそと食みながら、流れてくるのは収賄容疑のかかった政治家が不起訴になったニュース。この世は汚いことだらけ。綺麗に生きられる場所なんて、どこにもない。もう怒る気力さえない。「草」とつぶやくのが、青池透子の精一杯だった。
だから、この1億円は彼女にとって最後の抵抗だった。搾取され続けた人生に対する、不正にまみれた社会に対する、青池透子の最後の抵抗。「ウサギってさ、追いつめられるとオオカミも真っ青な強烈なキック繰り出すんだって」という伊吹の言葉を借りるなら、この逃走劇は「か弱いウサギ」と思われていた青池透子の、オオカミに対する反撃だったのだ。
ずっと「つまらない人生」「逃げられない。何もできない」と見くびられてきた。裏カジノの一味からはいいカモとして巻き上げられ、PCショップの社長からは「バカな女」と安くこき使われた。そして、この悲しい最期に多くの人が同情するだろう。なんて可哀相な人生だったんだと。
けれど、そんな安易な同情さえも青池透子は「誰が決めたの?」と跳ね返した。青池透子が見つけたガールズインターナショナルのボディコピーには「恵まれない少女たち、なんて呼ばないでほしい」と書かれていた。これはきっと彼女自身の言葉でもあると思う。私の人生の価値を誰に値付けもさせない。わかったようなラベリングなんてされてたまるものか。それを証明するために、最後まで彼女は戦った。
そしてあのトラックを見送った瞬間、青池透子は"賭け"に勝った。自分の人生を滅茶苦茶にした暴力団にも、決して助けてくれない警察にも、そして同情だけは得意な視聴者にも一切気づかれることなく、彼女は願いを叶えた。青池透子が最後に見た景色は決して絶望なんかじゃない。まばゆくきらめく希望だったんだ。賭けに勝つコツは、勝負の一手は最後の最後まで誰にも気づかれないこと。こんなにも自分が"負け"たことを清々しく思えたのは初めてだった。
野木亜紀子の描く物語には、「これは私だ」と思わせるリアルがある
つい先日、公選法違反の罪で起訴された政治家や、賭博などの容疑で刑事告発された前検事長が不起訴処分となったと報じられた。また、7月16日放送の『news zero』(日本テレビ系)で東京女子医科大学病院に勤務する20代の女性看護師が、コロナ対策で夜勤手当などが削られ手取り14万円であると告白し、大きな反響を集めた。
その余波でSNS上がざわめく中、青池透子の放った「献金もらった政治家も、賄賂もらった役人も起訴されないんだって。金持ちの世界どうなってんの。私なんて手取り14万で働いてんのに。草」という台詞は、現実と虚構が混濁するような衝撃があり、思わず称賛のため息をこぼしてしまった。野木亜紀子にやられた、と。
野木作品ではこれまでもこうした現実と符合するような現象が散見されたが、野木自身は「何か私が特別なのではなくて、世の中に元々あった問題を扱っていれば起こり得る話」と冷静に語っていた(引用:『SWITCH』5月号/スイッチ・パブリッシング刊)。
だから、このシンクロを「奇跡だ」と過剰に煽り立てる意図はない。実際、「手取り14万円」というフレーズは、昨年、起業家の堀江貴文が手取り14万円の女性に対し「日本が終わってんじゃなくて、『お前』が終わってんだよww」とコメントし賛否を集めた、いわゆるバズワードだ。おそらくそのあたりのことも踏まえた上で、野木亜紀子は手取り額を14万円に設定したのではないかなと思う。
それでも、そうやって常に世の中を見渡し、市民感覚をもって創作を重ねる野木亜紀子だからこそ、こんな現実と虚構が交錯したような世界がつくれるんだろうし、そこに自分の生きる日常と地続きのリアルを感じるから、今、多くの視聴者が野木亜紀子のつくる世界に共感し賛同するのだと思う。今回、青池透子に自らを重ねた人たちはきっと多かったはずだ。
また、第4話の監督は竹村謙太郎が務めたが、画の力は今回も図抜けていた。青池透子を乗せたバスとそれを追いかける伊吹と志摩のメロンパン号。そして、青池透子の希望を乗せたトラック。この3台が高速道路の分岐点で進路を分かつシーンは、前回の「分岐点」をフラッシュバックさせる鮮やかさ。また、トラックがバスを追い越していくのを青池透子が窓越しに見送る場面で、米津玄師の歌う主題歌『感電』の「たった一瞬の このきらめきを」というフレーズを合わせる演出には、文字通り全身に電流が流れるような高揚感があった。
キャストでは、星野源がいよいよ本格的に闇の部分をあらわにし、視聴者をゾクゾクさせた。銃口を突きつけられながら「じゃあ撃てば」と悠然と笑む顔は狂気に溢れ、いかにも人の良さそうな星野源のマスクだからこそ、底が知れない。伊吹に胸ぐらを掴まれたあとの死んだような目も冷ややかな気迫に満ちていた。やっぱり星野源には闇が似合う。ここからもどんどん闇を炸裂させてほしい。
また、防犯カメラの映像に「2019/5/17」とある通り、この物語の時代設定は2019年で間違いないようだ。なぜあえて1年前なのか。この時計の針が現代に追いついたとき、いったい伊吹と志摩はどうなっているのだろうか。</p>
<p>その謎が明かされるとき、きっとまた僕たちはこう称賛のため息をこぼすだろう。野木亜紀子にやられた、と。
文・横川良明 イラスト・月野くみ
2020.07.19 PlusParavi