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処罰感情が生む闇。『MIU404』が迫る"自己責任論"

転がるパチンコ玉を、九重(岡田健史)はキャッチできなかった。

それが、すべてを表していた。
『MIU404』第3話は、何気ないワンシーンがこれから起こる悲劇を暗示する、脚本・野木亜紀子の巧みな筆力に酔いしれるような回だった。


成川を追いかけたのが伊吹だったら、運命は変わっていたのだろうか


「自分の道は自分で決めるべきだ。俺もそう思う。だけど、人によって障害物の数は違う。正しい道に戻れる人もいれば、取り返しがつかなくなる人もいる。誰と出会うか、出会わないか」

そう志摩(星野源)は言った。それが、この第3話で描かれた「分岐点」。廃部となった陸上部。原因は、上級生たちのドラッグ事件。元陸上部員の成川(鈴鹿央士)と勝俣(前田旺志郎)は、大会に出場できなくなった無力感と苛立ちを、虚偽の通報で警察から逃れ切ることで発散していた。すべては、ほんの「いたずら」のつもりだった。

しかし、元陸上部のマネージャー・真木カホリ(山田杏奈)が本物の猥褻犯に襲われたことから状況は一変する。「俺は今から襲われた真木カホリを助けに行く。逃げるか来るか、今決めろ」と勝俣に告げる伊吹(綾野剛)。勝俣はその言葉に突き動かされ、伊吹についていく。

だが、成川は違った。成川を追いかけていたのは九重。九重は「成川!」と威嚇し、ただ睨みつけるだけだった。カホリが襲われた事実を知ることもなく、逃げのびる成川。ネットに顔を晒された成川は帰る場所もなく、道を踏み外していく。

もしも成川を追いかけていたのが九重ではなく伊吹だったら、運命は変わっていたのだろうか。もしも勝俣を追いかけていたのが伊吹ではなく九重だったら、転落していたのは勝俣の方だったのだろうか。そう脳裏によぎった瞬間、浮かぶのは志摩の「誰と出会うか、出会わないかだ」という言葉。

そして、ピタゴラ装置になぞらえ「何かのスイッチで道を間違える」と説く志摩に九重が言った「でもそれは自己責任です」という言葉も。

ネットでいじめっ子の実名を検索したことがある僕に、九重を悪く言う資格はない


いつからだろう、こんなにも「自己責任」という言葉が社会に溢れるようになったのは。苦境に喘ぐ人を「自己責任」と切り捨て、安全なところから見下ろすこの現代社会。

たとえば貧困問題もそうだ。明日食べるものにも困る。そんな生活から抜け出せない人たちを、エアコンの効いた部屋で添加物のたっぷり入ったお菓子を頬張りながら、人々は「努力が足りない」「自己責任」と断じる。自分がどれだけ恵まれた状況に助けられていたのかを知ろうともしないで。

新型コロナウイルスの感染拡大においても自己責任論は飛び交った。補償もないまま自粛を強いられ、失業や廃業に苦しんだ人たちがたくさんいた。しかし、そんな彼らの叫びに対し、世間の一部から放たれたのは「その仕事を選んだのは自分自身なのだから」という冷たい自己責任論だった。

けれど、本当にそうなのだろうか。そこにあるのは、「自己責任」という言葉を盾にした、ただの責任逃れなのではないだろうか。あるいは直視したくないものから目をそらすために「自己責任」という言葉で蓋をして思考停止しているだけではないのだろうか。

劇中で交わされた少年法に関する議論も興味深かった。「救うべきところは救おうというのが少年法」と論じる桔梗(麻生久美子)に対し、九重は「その少年自身が、未成年を笠に着て好き放題をしていてもですか」と反論する。そんな九重に、桔梗は言った。

「私はそれを彼らが教育を受ける機会を損失した結果だと考えている。社会全体でそういう子どもたちをどれだけ掬い上げられるか。5年後10年後の治安は、そこにかかっている」

それは、極めて洗練された道徳観・倫理観に基づく言葉だ。一点の誤りもないと思う。だけど、胸の悪くなるような未成年による凶悪犯罪のニュースにふれたとき、桔梗のように冷静に考えられる人はどれだけいるだろうか。顔も名前も晒してしまえばいい。一生刑務所に入れたらいい。そう感情的に罰して気持ち良くなっている人はいないだろうか、エアコンの効いた部屋で添加物のたっぷり入ったお菓子を頬張りながら。

少なくとも、僕はそうだ。ひどいいじめ(ではなく、暴行傷害、強要、侮辱罪)を犯しながら、学校を変え、苗字を変え、ぬくぬくと普通の生活に戻っていったいじめっ子たちが許せなくて、彼らの名前をネットで検索したことがある。そんな自分に、九重を悪しざまに言う資格なんてないし、「罪を裁くのは司法の仕事。世間が好き勝手に私的制裁を加えていい理由にはならない」という桔梗の言葉に胸をつかれながらも、素直に頷けないでいる。

だけど、もし更生が受け入れられる社会なら、その場かぎりの正義感で未成年の顔と名前を晒すような社会でなかったなら、成川は自分の罪を認め、家に帰ることができたかもしれない。ちゃんと謝罪をし、やり直すことができたかもしれない。成川を追いつめたのは、他でもない、「自己責任」で他者を簡単に制裁する僕たち自身。まさに自分の中にある正義感と処罰感情にかき回されるような45分だった。


俳優・岡田健史にとって『MIU404』は「分岐点」となるか


『アンナチュラル』(2018年、TBS系)から貫き続けている野木亜紀子の社会に対する怒りとクールなジャーナリズムが全開だった第3話。おそらく今後は1話完結の事件を重ねながら、逃げ延びてしまったがためにドラッグ汚染の網に堕ちた成川を通して、僕たちに今向き合わなければならない社会の問題を提示してくるだろう。

なぜ九重が少年犯罪に対してあれだけ厳しい意見を持っているのか。それは、苦労知らずで温室育ちゆえの上から目線な正義感なのか。それとも過去に少年犯罪によって何かしらの傷を受けたのかも気になるところだ。

ただひとつ言えることは、九重はひとりの少年を救うチャンスを逸した。伊吹の言葉を借りるなら「誰かが最悪の事態になる前に止められる」のが機捜の仕事。九重は、最悪の事態になる前に止めることができなかった。その事実とどう向き合っていくのか。

伊吹が勝俣、九重が成川を追いかけることとなったあの瞬間が「分岐点」なら、志摩が逃げる生徒に「真木カホリが猥褻犯に襲われた」と声をかけられたのも、伊吹と出会ったからなのかなと思う。そういう意味では、志摩にとって伊吹との出会いはひとつの「分岐点」なのだろう。同じように九重にとっても伊吹との出会いが「分岐点」になるのか。桔梗、陣馬(橋本じゅん)ら4機捜の出会いがそれぞれにどんな影響を与えていくのかも楽しみだ。

九重を演じる岡田健史は、『中学聖日記』(2018年、TBS系)以来、地上波連ドラにレギュラー出演するのはこれで2度目。その間、『博多弁の女の子はかわいいと思いませんか?』(2019年、FBS福岡放送)では友達の少ない博多出身の高校生をコミカルに、『フォローされたら終わり』(2019年、AbemaTV)ではネット上の悪意に翻弄される青年を正義感たっぷりに、そして『いとしのニーナ』(2020年、FOD)では好きな女の子のために立ち上がるヘタレ男子高生をキュートに演じて、着々と演技力を磨いてきた。

積み重ねた経験を開花させるように、今、岡田健史は九重というキーパーソンに挑んでいる。台詞回しはずっと明瞭になり、突き放すような目線も九重のキャラクターにぴったりだ。特に、パトカーのサイレンを浴びながら、都会の闇へ消えた成川を睨みつけるように振り返った九重の眼光は、これまでのどの作品でも見られなかったような気迫があった。きっとこの『MIU404』との出会いも、俳優・岡田健史にとってひとつの「分岐点」となるだろう。


連ドラは、事件であれ


そして最後に多くの人を驚かせたのが、菅田将暉の参戦だ。この第3話では次回予告時点から『アンナチュラル』の毛利刑事(大倉孝二)と向島刑事(吉田ウーロン太)が登場し、ファンを喜ばせたほか、岡崎体育、黒川智花の出演も話題にあがるなど、非常にニュース性の高い回だった。そのすべてを吹き飛ばすまさかの隠し球に、Twitterでは「菅田将暉」がトレンド入り。リアルタイムで視聴できなかった人たちは、その驚きを逃すこととなり、改めてテレビの同時視聴性の強さを実感させられた。

そして、やっぱり面白いドラマには事件があると思った。第1話のド派手なカーアクション、第2話の松下洸平のゲスト出演と、『MIU404』は毎回ニュース性たっぷりの事件で視聴者を飽きさせることがない。

はたして次はどんな事件が待っているのだろうか。今、1週間でいちばんワクワクするのは、間違いなくこの『MIU404』がある金曜日だ。

文・横川良明    イラスト・月野くみ                                                   2020.07.12  PlusParavi

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