『MIU404』第2話 「白」か「黒」か。悲しき逃亡劇の結末
「白」だと信じたかった男のセーターは、返り血で真っ赤に染まっていた。
『MIU404』第2話は、「信じる」をキーワードにいくつもの切なる願いが交錯する回だった。
きっと加々見は犯人じゃない。そう誰もが信じたかった
ハウスクリーニング会社の専務が、刺殺体で発見された。第一発見者の証言によると、凶器を持って現場から逃走したのは、従業員の加々見崇(松下洸平)。加々見はどこへ消えたのか。第4機動捜査隊の無線に事件の一報が入ったそのとき、奇しくも伊吹(綾野剛)は1台の不審な車に目をつけていた。
後部座席に、逃げた加々見と同じ黄緑のジャンパーを着た男がいるのを目撃した伊吹。事件の容疑者かもしれない。伊吹の野生の勘を信じ、伊吹と志摩(星野源)は追尾を開始する。その車は一路、富士山の麓、山梨へと向かっていた――。
覆面パトカーで地域をパトロールする機動捜査隊らしい切り口から事件を追うことになった第2話。ド派手なカーアクションで視聴者のボルテージを上げた第1話から一転、今回は胸に沁みるヒューマンドラマに思わず涙させられた。
核は、何と言っても加々見の存在。加々見は「白」か「黒」か。きっと多くの人が加々見の「白」を信じながら、この逃亡劇を見守ったんじゃないかと思う。こんな素朴そうな青年に、人なんて殺せるはずがない。何か別の真相があるはずだ。そう信じたかった。
だけど、違った。現場に残された血のついた掌紋と、加々見の自宅で採取した掌紋が一致した。そう志摩が告げた瞬間、ずっと黄緑のパーカーで隠されていた白のセーターがあらわになった。そこについていたのは、何度洗っても決して落ちない赤い血。それは、加々見が犯した罪の証拠だった。
逃げた加々見が向かったのは、もう十数年も訪れることのなかった実家。加々見は幼い頃から父親に抑圧的な教育を受けており、消えない憎しみを抱いていた。こうなったのは、全部父親のせいだ。せめて最後に復讐がしたい。優しそうに見えた加々見が内側で抱えていた傷は、想像していたよりずっと根深かった。
だけど、そういうことなんだろう。何も問題なんてなさそうなあの人も、あの人も、本当は心のどこかに爆弾を抱えていて、いつそれが暴発してしまうかなんて誰にもわからない。ただ毎日普通に働いていただけ。そんな普通が今日も、明日も、ずっと続くと信じていた。多くの人は、日常という平坦な道を歩きながら、不意に罪という穴に落ちてしまう。誰も、犯罪者になりたかったわけじゃない。
それでも、伊吹の言った通り「殺しちゃダメ」なのだ。血の染みは、とれない。こびりついた血は、洗えば洗うほど大きく広がる。そんな取り返しのつかない残酷さを、脚本・野木亜紀子はリアリスティックに描き切った。
あの「ごめんね」に、多くの人が涙した
第2話の作劇的な面白さを挙げるとすれば、加々見が人質にした田辺将司(鶴見辰吾)と早苗(池津祥子)夫妻の存在だ。夫婦には、かつて息子がいた。けれど、その子どもはわずか中学3年生で自殺した。原因は、クラスメイトのお金を盗んだと疑われたから。将司は、息子を信じてやれなかった。そのことをずっと悔いていた。だから、加々見を信じると決めた。田辺夫妻にとって、この逃亡劇は贖罪の旅でもあった。
加々見に死んだ息子を重ねた田辺夫妻は、いつしか人質の立場を逸し、擬似家族のような感情を寄せていく。息子のことは信じてやれなかった。だから、今度こそ信じてあげたい。最後まで加々見の無実を信じぬきたい。そんな田辺夫妻の悲壮な覚悟もまた胸を打つものだった。
だからこそ、あの「ごめんね」にはきっと多くの人が涙したと思う。あの「ごめんね」は、加々見にとっては、ずっと父から言ってほしかった言葉だ。そして田辺夫妻にとっては、ずっと死んだ息子に言いたかった言葉だ。信じてあげられなくてごめん。毎年、菖蒲の花を添えて、そう息子の墓に呟き続けていたと思うと、交差するいくつもの無念な想いに、ただむせび泣くしかなかった。
松下洸平が演じたアダルト・チルドレンの苦しみと、塚原あゆ子の演出力
そんな第2話を引き締めたのが、ゲストの松下洸平だ。どこか所在のない佇まいからは、父親に認められず、自分という人間を肯定できないアダルト・チルドレンの苦しみが語らずとも表れていた。「こんなはずじゃない」と繰り返す声は幼児性を帯びていて、伊吹にすがりつくように泣きじゃくる表情は、まるで子どものようだった。父の死を知ってなお、その死を悲しむでもなく、「まだ一度も謝ってもらってない」と抗議する加々見。あの叫びに、やりきれない痛みが弾けて、観ているだけで呼吸が苦しくなった。
2019年度後期のNHK連続テレビ小説『スカーレット』で注目を浴びた松下だが、決して「遅咲き」ではなく、舞台を愛する観客からは長らく信頼されている俳優のひとりだ。平成30年度(第73回)文化庁芸術祭 演劇部門 新人賞、第26回読売演劇大賞・杉村春子賞を受賞するなど、その実力は折り紙付き。観る者がつい心を寄せてしまう演技力を、改めてこの『MIU404』で多くの視聴者に刻みつけた。
塚原あゆ子の演出も、松下の演技をさらに引き立てていた。思わず胸を衝かれたのが、最後に加々見が頭を下げるところでバックにそびえる富士山の美しさ。
あの富士山は、きっと加々見にとって故郷の象徴だった。富士山の見える町で加々見は高校卒業まで過ごした。そして、富士山に背を向けるように彼は父親の支配から逃れ、東京へやってきた。加々見にとって富士山は忌まわしい記憶が密接に関わっており、父親を連想させるものだったんだと思う。そんな富士山を仰ぎ見てから、彼は頭を下げた。
何も説明しなくても、自然とストーリーが広がる画の強さ。あのワンシーンであそこまで加々見の想いが胸に迫ってきたのは、塚原のこうした演出力によるところも大きいだろう。
「白」と「黒」が反転した伊吹と志摩
また、伊吹と志摩のキャラクターも第2話でより奥行きが広がった。第1話では伊吹が黒のジャンパー、志摩が白のロングジャケットを羽織っていたが、第2話では伊吹が白、志摩が黒の衣装をまとっている。
衣装同様、伊吹は加々見の無実を信じ、罪を自白してなお「無実でいてほしかったなあ」と優しく見つめた。確かに伊吹は軽薄なところはあるかもしれない。だけど、本質的には人が良いんだろうということを、綾野剛はパトカーに乗り込む加々見を見送る潤んだ目など、人間味あふれる演技で感じさせてくれた。
一方で、もう話題は終わったと思っていたメロンパンの値段を真面目に考えるなど、志摩もただの有能な刑事ではない、可愛くてお茶目なところを見せてくれたが、印象的だったのはやはりラストの「人の命は返らない。どんなに願っても」という台詞だろう。近年の活動から、どちらかと言うとソフトなイメージの強い星野源だが、本来はこうした言い知れぬ闇を感じさせてくれるところが彼の持ち味。どこか空洞的な星野源の雰囲気に、志摩のキャラクターがマッチしている。
少しずつ志摩の謎も明らかになりはじめているが、相棒を殺したという志摩と、たったひとりだけ信じてくれた人がいたという伊吹の過去が、どのように絡み合っていくのだろうか。ますます楽しみが増えた第2話だった。
文・横川良明 イラスト・月野くみ
2020.07.05 PlusParavi