【第0237稿】ちょっとだけほっこりするひいばあちゃんの話。

ひいばあちゃんが亡くなって20数年経つが、毎年命日が近付くとどうしても思い出してしまうことがある。今回は、そんなノスタルジックなお話。


基本的に同居していない親族というのは、子供からすれば「お年玉配りマシーン」でしかない。ご多分に漏れず私も中学生の頃は、大して会いたいとも思わないジジババの家に、毎年お年玉をもらいに行っていた

ただ、ひいばあちゃんの家だけは、ひそかに楽しみにしていた。なぜなら、このひいばあちゃんというのがやたらとギャンブル好きで、もらったお年玉を賭けて花札勝負を持ち掛けてくるのだ。もちろん現金をそのまま賭けるわけではなく、マッチ棒を使ったやり取りなのだが…これが子供ながらにとても楽しかった

そしてひいばあちゃんが住んでいる家の家主(家系図的には、いわゆる「大叔父」にあたる)が、これまたギャンブル好きで、ひいばあちゃんとの花札が終わった後は、大叔父と麻雀で対決するという大一番が待っていた。

私が麻雀好きになったのはおそらく、大叔父のせいだろう。三つ子の魂百までというが、幼いころから英才教育を受けていた私は、現在もしっかりと麻雀好きである。


そんなひいばあちゃんからもらった、ある年のお年玉が、

巾着袋いっぱいに詰め込まれた500円玉

だった。50枚くらい入っていたと思う。当時私がもらっていたお年玉は、1人当たり5000円か1万円(兄がいるので、兄が1万で私が5000円というケースが非常に多かった)で、親戚の家には3~4件くらいしか行かなかったので、多くて2~3万円というのが相場だったが、その年はひいばあちゃん1人でそれに匹敵する金額をもらってしまったのだ。

まぁ、その後母に「多過ぎる」と言って半分以上取られたのだが。

この時点で、子供の私の脳には、ひいばあちゃんの人物評「花札のひいばあちゃん」から「25,000円のひいばあちゃん」に上書きされていた。ひいばあちゃんがお年玉カースト最上位に躍り出た。

さらに花札も麻雀も楽しめる楽園かよ。

それから毎年、ひいばあちゃんの家に遊びに行くのが楽しくてしょうがなかった。のだが…。

晩年になり、ひいばあちゃんと花札で遊ぶことも出来なくなってきた頃の正月。例年通りに巾着500円がもらえると思ってご機嫌な気分でひいばあちゃんに年始の挨拶をした後。ひいばあちゃんがくれたお年玉を見て、愕然としてしまった。

紐に通された50枚ほどの50円玉だったのだ。


ちょ、え?

ひいばあちゃん・・・

話が違うよ!?


否、硬貨が違うよ…?


慌てふためく私をよそに、ひいばあちゃんはこう言った。

「オラぁ、もう巾着が作れねぐて。紐っこさ通す方が楽だで、これにしたんだ。その分枚数を多ぐしたでな。」

なん・・・だと・・・?


その頃には、さすがにそこで文句を言うような分別の付かない子供でもなかったので、ひいばあちゃんの顔を立てて「ありがとう」とは言ったものの…まさかの減収に怒りと悲しみと絶望に打ちひしがれていた

まぁ、その後の麻雀大会で大叔父からがっぽり回収したのだが…。今思うと、大叔父もそれを知っていて、わざと負けてくれたのかもしれない

そして。


ひいばあちゃんからもらうお年玉は、その年が最後になった。


今だからこそ。


あの時言えなかったことを、ひいばあちゃんに言いたい。


巾着袋は返すから、500円玉入れてくんねぇ?


もしくはもう札でいいよ、と。


ひいばあちゃん、そして大叔父、大叔母。天国でも元気でやっていますか?結局あれから数十年、私より年下の親族に会う機会がほとんどなく、私はこの歳になっても、いまだにお年玉をあげたことがありません。私には嫁も子供もいないので、その分は両親にお返ししています。

私がそちらに行く頃は、すでに供養が終わっていると思うので会うことは無いと思いますが…早めにそちらに行くことになった際は、また花札や麻雀をしましょうね。

負け分は全部50円玉で支払いしますからね。

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