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6年間無敗のおじさん。何故?

 忘れもしない2019年の夏、私は1人のおじさんに助けられた。
 雨の日に傘を貸してくれたおじさん、その人である。
 割と普通のエピソードなんだけど、6年経った今でも私は人助けや親切に紐づいた記憶を掘り返す時にあのおじさんが1番前に出てくる。
 これは不思議だ。
 私はそのおじさんと会う前後にも色々な人に親切にして貰ったり、助けて貰ったりしたエピソードが多くある。
 その悉くに感謝してもしきれない。
 なのにだ!
 どうしてもそっち系のエピソードを思い返す際に必ずあのおじさんが1番最初に躍り出てくる!

 なんか釈然としない!

 傘を貸してくれるのはそれは立派な人助けだとは思いますよ!それはそうとも! 
 でもね。精神をぶっ壊した時に助けて貰ったり、金銭を工面してもらったり、人生色々あった中で何故かあのおじさんが記憶の手前の方で佇んでいる。
 決しておじさんを下げている訳でも、親切や助力を定量化したい訳ではありませんよ。ただ私の中であのおじさんが焼き付いている理由を知りたい。ただそれだけ。
 これがずっとモヤモヤしてたんだけど、それこそ昨年の2024年は「言語化」というワードが流行語になり、漠然とした意識や思考を正確に表現する事が時勢として求められているのを知った。
 なればこそ私も流れに乗って今こそおじさんの秘密を解き明かそう。


邂逅

 あの夏、持病で通ってる病院の帰りに急に土砂降りの雨が降り始めた。恥ずかしながら生来抱えてしまった物臭さな性分の為、気が向いた時にしか天気予報を確認しない。
 この時、傘を持っていなかったのはつまりはそういう事である。
 道路から近くのビルの軒下まで小走りで向かい着いた時には、それなりに衣類も濡れていて、駅まではまだ距離もあるし新しい傘を買いに行くまでにもずぶ濡れになる事は必至だろうと半場諦めた。仕方がないので目の前の横断歩道まで歩き出したその瞬間、
 目の前にボロボロの自転車がいきなり止まった。

「これ使っていいよ!!!」
 
目の前には自転車に乗った傘を差したおじさん。
いきなり知らないおじさんがその手に持った傘をこちらへ差し出した。
 著しくコミュニケーション能力の低い私がスマートに返事出来る訳もなく
「ア゙ア゙ッ、ダイジョブデスヨ」みたいな事を言っていた気がする。おじさんは私の挙動不審も意に介さず

「ほら2本あるから、1本あげるよ!パチンコの景品でもらったから!」
 
おじさんはそう言って指を指した先には確かに自転車の後輪とフレームの隙間に傘が無理矢理捩じ込んである。

「そこに傘を差して大丈夫なの?」
「パチンコの景品で傘って貰えるの?」
「傘さし運転良くないのでは?」

3つの疑問が湧き上がったがこの状況で聞ける訳もなく
おじさんが更に傘を突き出してきたのでついに受け取った。
普通のビニール傘でいつも使っている傘よりサイズが少し小さかった。

おじさんは自転車のフレームをガチャガチャ言わせながら傘を引っこ抜き、そのまま差すと走り去っていった。

2019年当時も傘さし運転は道路交通法違反である。

それではこのエピソードを踏まえて何故このおじさんを忘れられないか考察したい。幾つか思い当たる節があるので書き出してみよう。



・完璧なタイミング

 仮にだ、仮に私がどこかの国のプリンセスだとして何かしらの危機にあったとしよう。魔王が襲ってきたのかもしれない。衛兵も皆倒され、私自身も絶体絶命である。しかし生存の為には剣を握るしかあるまい。例え絶対に魔王に適わないとは頭では分かってはいても。その剣を持ち上げ、踏み出す。 
 あの日の私は正しくその様な状況にあった。土砂降りに際して濡れる以外の選択肢が無く(天気予報を見ろ)覚悟を決めて歩き出そうとしていたその瞬間の事であった。
 あのおじさんは絶望的な状況で本当に死ぬ直前で現れた。これが物語であったら英雄ムーブであるのは間違いない。私がプリンセスだったら絶対に惚れてる。
(多分このプリンセスも私と一緒で魔王が近付いている報告を無視して遊んでたであろうロクでなしに違いない)



・完璧な回答

 おじさんがくれたのは若干クタクタになった使用感のあるビニール傘だった。自転車にさしてあった方が新しい傘だったのかもしれない。
 これは完璧な回答だ。
 果たしてこの傘が如何にも値段が高そうであったり、好みが如実に現れたデザインだったらお気に入りかもしれないし絶対に受け取れない。
しかし彼がくれたのは中古のビニール傘。もう一本新品があると言われれば貴方はどうしただろうか?
 私は受け取ってしまった。
 他にも傘ではなく合羽であったら着るという工程が入る以上スマートさに欠けるし、そもそもサイズが違うかもしれない。
 車で送ってあげるとか言われたら流石に警戒しただろう。
 あの状況におけるベストアンサーはクタクタの傘だったのだ。
 プリンセスには魔王を倒す聖剣に見えるに違いない。



・正体不明

当然ながら知らない人なので彼の素性は全てが謎に包まれている。
自分を救ってくれた恩人がどの様な背景を持っているかを気にならないプリンセスは居ないだろう。
(最有力説はパチンコの帰り)



・テンポ感が良過ぎる

 トラブル発生⇒解決策が無いことが判明⇒救済を含めてのテンポ感が余りにも良過ぎる。殆どタイムラグがない。体感でしかないが15分くらいの出来事である。
 ここまで劇的に展開が進むのは物語の中だけである。現実の大抵のトラブルは問題発生の時点でグダグダなことが多いし、ある意味おじさんとの邂逅は非日常かもしれないし今も実感が無い。



・罪悪感を感じさせない

 地続きの日常において、私は誰かに親切にしてもらうと大なり小なり罪悪感抱いてまう。私はそういう性分なので仕方が無いが彼は全てが謎に包まれているので傘をくれた背景に自己犠牲(パチンコで負けるとか?)があっても、私がそれを知る術は無い。
 人との付き合いで最も肝要なのは気を遣うことよりも気を遣わせない事だと聞いた事があるがこの事なのかもしれない。

 おじさんは傘さし運転に罪悪感を感じろ。



総括

 なるほど言語化してみるとあの時のおじさんがああも強烈に見えたのは納得である。物語性を含んだ経験は得難く、私はあの瞬間だけ異世界に飛ばされていたのかもしれない。一見ありそうであり得ないこの件に類したエピソードは私の人生において他には無い。
傘さし運転は良くないけど!
傘さし運転は本当に!良くないけど!

 他にもおじさんは私が困っているのを自転車に乗りながら判別出来るくらいには視野が広いし、全くもって不思議な体験だった。

 次会う機会があったら傘さし運転は止めてもらう様に伝えようと思う。事故を起こさない様に周りに気をつけてね。
 あの時はありがとう。

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