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パラリアの二次会、第4夜の解説



パラリアの二次会、第4夜の解説になります。音声はこれです。タイトルの通り今回は教育の歴史が主題です。




内容の要約


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教育を論じるために、まず、教育の形式・教育の内容、教育の方法という枠組みで考えたらどうかという話がされた。

前回の話で、教育(Erziehung)は、「外に引っ張る(Er-Ziehung)」という意味なのを踏まえ、教育の形式を、生徒と教師・親などとの関係として定義した。教師や親が生徒を外へと引っ張る、ということ。

では、どこへ引っ張るのか。それによって教育の内容が変わってくる。例えば、大人に対する教育の内容は、欲するものを与えることである(パソコンの技術が欲しいから、パソコン教室はそれを教える、など)。子供に対する教育の内容は、大人に向けての教育であり、その意味での教育の中にはケアやしつけも含まれる。子供に対する教育は、能力に関わるもの(卑俗な言い方で言い換えると、能力開発)である。

そうすると、そのような能力にはどういうものがあるのだろうか。これについて、どういう能力が重要視されてきたかを中心に、教育の歴史的背景を語った。またその中で、偏差値がいつから重要視されるようになったかなど、社会と偏差値の関係を語り、最後に教養教育の拡大に関する議論や、自習についての話をした。


言葉の解説

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6分30秒ごろ「遺伝子が変化して動物が進歩する……」

人間は上の世代から下の世代に言語を通じて情報を伝達できるが、他の動物は下の世代にそういう形で情報を伝えることはできないということ。


8分ごろ「古代ギリシアの同性愛と教育」
古代ギリシアでは、年長者が若者を教え導くのと、同性愛関係が結びついていたとされる。なお、年長者がいわゆる攻めで、若者が受けと決まっていたり、若者の方はつれない態度を取らないといけなかったりなどの慣習がある。(気になる人は

例えば哲学者ソクラテスは悪妻がいることで有名だが、政治家・軍人のアルキビアデスと同性愛関係にあったとされ、アルキビアデスが失脚した際にソクラテスは教育責任を問われている。ソクラテスの弟子、プラトンの『饗宴』()を読むと、求愛するアルキビアデスとつれないソクラテスの言い争い(痴話喧嘩?)が見られる。

最後に、たまに「古代ギリシアは同性愛者に寛容だった」という説を見るが、同性愛者が多かったというよりは、両性愛が普通だったという感じ。古代ギリシア社会で同性愛には社会的圧力がかかっていたという説もある。(


9分ごろ「ソフィスト」
古代ギリシアで、主に若者に対して、お金と引き換えに弁論術を教えた人々。今ではソクラテスと対比され、「人を騙すための知恵を金で売っている」などと悪者扱いされることも少なくないが、実際には哲学の発展に大きな役割を果たしている。


10分ごろ「日本の教育」
実は江戸での儒学(者)の地位は意外と低い。渡辺浩『日本政治思想史』によれば、儒学を学ぶ武士は江戸時代初期には嘲笑われた。しかし儒学は組織の維持に役立ち、統治の手引きになるということで、武士の間で次第に広く学ばれるようになった。
寺子屋や私塾は比較的富裕な町民や百姓の子が通い、くずし字の読み書きと算盤といった、家業に役立つことを学んだ。町民や百姓が儒学を学ぶこともないわけではなかったが、茶の湯や舞などの「遊芸」と同じ部類の習い事だと考えられた。


29分ごろ「大学の大衆化」
エリートだけでなく、誰でも大学に行くようになったということ。逆に言えば、大学を出たならエリート、とは言えなくなったということ。


37分ごろ「汎用化」
どこでも通用するということ。「偏差値の汎用化」と言った場合、偏差値が大学のランクづけだけでなく、その人の優秀さの証明になったり何なりと、様々な場面で用いられるということ。




以上になります。解説というより小ネタばかりになってしまい、失礼いたしました。今日もお疲れさまでした。

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