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夏を迎え放つ 演劇から夏。

「夏を迎え放つ」

 すかんぽ長屋「歌留多」7月12日〜14日日曜日まで東大阪 布施PEベースにて公演。照明として入り終わる。公演期間中は日々の日常雑事をおいて、がっつりひとり時間に入り、現場に向き合う。

 最近、もろもろの用事があちこち感でバラバラだったのが、ぐいっとまとまり終わる。
 京都は祇園祭の先祭がはじまる。
 夏を自分のなかで、
 きちんと迎えるスイッチ入れた。

それもあって、
 7月15日月曜日祝日。
 東京へ。ここしかなかったので一泊で。39年新宿 花園神社でやっていた椿組がこの夏公演で花園神社での野外劇を終りにすると。
 自分のなかで、伝説にしてはいけない。観たいものがおこるとき、観に行けるなら、観る。
 演劇はひとりでつくらない。みんなでつくる。それは観客も同じだ。

 で、せっかくなので朝、早く出かけて、東京観光をと調べると、なんとザムザ阿佐ヶ谷にて、PSYCHOSISがやっているではないか。びっくり。コロナ夏の2年前の5月、観たかった劇団がコロナになり中止。宙吊りのなか、でも、東京に。岡本太郎記念館に、そして、ザムザ阿佐ヶ谷にて、PSYCHOSIS「津山三十人殺し」。
 これが衝撃だった。全体に閉じ込められる個人が惨殺した事件をリアルではなく、でも虐げられた孤独はリアルに、オルタナティブ(もうひとつの選択)な物語をつくる。このコロナというなかで、潰されない姿をしめしていたと感じた。そして、次の年は寺山修司の「疫病流行記」
 そのPSYCHOSISがやっている。ザムザ阿佐ヶ谷にて、群論序説「ALICE IN WONDERLAND〜不思議の國のアリス」これまた、アリスの話しに、東北の貧民農家の女子をからめ、虐げられたものたちがつきぬける物語は美しいアンダーグランドとして歌丸や踊り、殺陣も入り走りぬける。
またまた、鮮やかでオルタナティブな物語をつくっていた。
 その午前中、どこへいくかと調べたら、上野から北西、東大のそばに
弥生会館があり、そこで高畠華宵という大正〜昭和のイラストレーターの作品をみる。あの唐組の吸血姫のチラシにもつかわれている。
 小さな美術館はほんとうに好きなひとが来る場所。
 ともに、導かれて来た感じだ。

さて、
 夜 新宿 花園神社。
椿組「かなかぬち〜ちちのみの父はいまさず」
中上健次作。熊野を舞台に山賊、旅芸人、敵討ちの姉弟たちの話。はみだした者たちがくみあいながら、みえる血。情念の血。私たちの意識ではなく、からだにつながる血がうみ、殺しあい、いきる。それを申楽の芸ごとごとくに花園神社から放つ。

ラストにくるまで、なんだろうと思った。それは目の前関係ではない、関係が肝心だからだ。

花園神社の野外劇舞台は素晴らしい。ラストの街がみえるのも、まさに街芝居だ。この世間に放たれている。

いま、この個人孤立幻想のバラバラ感つよい世間に、夏を迎え放つために、みにいってよかった。私たちたちはただ流されても、流されても、そこで浮かぶ。ここから私たちの血はたぎるのか?どう交ざりつむがれるか。

こうして、夏ははじまった。

 

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