残りの人生消化試合
新卒の時付き合っていた人はよく「無事就職もできたし、残りの人生は消化試合だ」と言っていた。
若いのに随分枯れたことを言うんだなと思っていた。しかし平日は家と会社の往復をし、金夜は酒をのみ、土日は昼まで寝て、また月曜を迎える。そんな生活を続けていれば確かに残りの人生消化試合だ。
そもそも生きることを突き詰めて考えると、究極食べて、寝て、ウンコしての繰り返しでありそれ以外に意味はない。それは他の動物も同様だと個人的にそう思ってる。猿山のボス猿も最初からボスになる宿命を背負って生まれてきたわけじゃないし。本質的には人(猿)生に意味などないのだから、どう人生を生きるのか、どう意味付けするのかは自分次第なのだと思う。
だが、組織に属して色々なブルシットジョブをさせられストレスがたまると、「人生は消化試合だ」などと余裕のあることを言っていられない。そうこうしているうちに年収や昇進など様々な要素を気にしだしたり、周囲の人間と自分を比較してしまったりと、気づけばしっかり組織の歯車と化している。
でも、残りの人生が消化試合で人生の意味を見出せずにいるのなら、好き勝手に生きるのが一番良いと最近強く思う。もしかしたら、私が仕事で昇進したり、上司から絶大に信頼され良いプロジェクトを割り振られていれば、こんな厭世的なことを考えていないのかもしれないが。