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2:寒いトイレで心肺停止

私の住む地域はとても暖かく、12月でも上着はロングTシャツだけでも過ごせることが多いぐらい。

冬は寒いこともあるが、それでもコートを着ることは滅多にない。

しかし、その日だけは違った。

朝いつも通り目覚ましで目を覚ますが、この日は普段と比べると常軌を逸した寒さだった。

毎年雪が降る地域からしたら普通の気温かもしれないが、慣れてない地域の私からしたらとても辛いものだった。

布団から出るのがとても億劫で、それもそのはず、この日はとても珍しく霰(あられ)が降った記録的な寒い日だった。

何とか体を動かして出勤し、いつも通り車両の点検等を行う。いつもは何とも思わない点検もこの日だけは辛い作業があった。

それは、車両の拭き上げだ。汚れた車両をタオルを濡らしてキレイにする作業は、気持ちのいいものだが、このときだけは冷たすぎて手が痛く、辛い作業だった。

そんな寒い日の深夜1時頃、救急要請が入る。

「高齢女性がトイレで倒れ、呼び掛け反応がない」という内容であった。

仮眠からすぐさま起きて、準備する。

夜は一段と冷え込んでいてとても寒かった。ガタガタ震えながら急ぎ車両に乗り込む。

救急車内もとてもひんやりしており、震えが止まらなかった。暖房を入れて車内を暖めようとするも、寒すぎて暖まる様子が全く無かった。

救急車内の温度を環境に応じて調整することは、傷病者の容体を維持する(※これ以上悪化させないようにする)うえでとても重要なこと。

熱中症であれば冷やす必要があるし、低体温であれば暖める必要がある。温度が原因だとそれを解決しないことにはいくら処置を行っても状態はなかなか改善しないからだ。

要請内容から呼吸が止まっていることも考えられるので、ガタガタ震えながら人工呼吸用の道具や点滴のチューブ等を準備する。

どんなに眠くても、どんなに寒くても助けを待っている人達からすれば、それは関係のないこと。

どんなときでもいつも通りのパフォーマンスを出さないといけない。そう考えると改めて大変な仕事だと実感する。

現場に着くと、家族が玄関前で待機しており、傷病者がいるところまで案内してくれた。

傷病者は、便座に座っており、口を開けて全身脱力した状態であった。

すぐさま首の脈拍と呼吸を確認するも、脈は触れず呼吸も無かった。

トイレは狭く救命活動を行うスペースはないため、急いで活動が出来るスペースまで傷病者を移動させ、心臓マッサージや人工呼吸を開始した。

除細動器(AED)を装着し、心電図波形を確認すると、心静止(※心臓の拍出がなく、電気活動が全くない状態)であり、電気ショック適応外のため、直ちに特定行為(※救命士に許された医療行為)に着手する。

家族から発見した状況、最終健在時刻や傷病者の氏名や生年月日、病歴等の情報を聴取し、近くの病院へ連絡を入れ、傷病者の情報と合わせて、行う処置(特定行為)を伝え、指示をもらう。

病院の受け入れ許可、特定行為の指示ももらったため、現場離脱の準備をしつつ、急ぎ特定行為を行う。

家族(夫)へ今から行う処置の説明をしたのち、チューブを口の中に入れて人工呼吸の質を上げる。

その間に搬送準備が整っていたため、急いで救急車に移動し、家族(夫)も同乗させて直ちに出発。

アドレナリンという心臓の動きを強くする劇薬を投与する目的で、腕に針を刺して血管を確保する必要があった。

揺れる車内の中で針が刺せそうな血管を探すも、循環が止まった血管は張りが無く、さらに寒さも相まってより細くなっており、血管らしい血管は見当たらなかった。

それでも何とか血管を探し、選択した血管へ穿刺を試みるため、機関員(運転手)に針を出すことを伝える(※徐行してもらうため)。

救急車は構造上とても揺れ、車内の人や物が吹き飛ぶことがあるほど。それが急いでいればなおのこと。

そんな状況では百戦錬磨の看護師でも、安全に針を刺すことは不可能だろう。

徐行したことを確認したのち、針を刺す。

しかし、逆血(※血が出ること)が無く、輸液(点滴)を行うも流れていかないため、血管を外したことは明らかだった。

機関員へスピードを上げても大丈夫な旨を告げ、搬送を再開した。

条件や状態が悪かったとは言え、出来なかったことに変わりはなく、自分の経験値の浅さと技術不足を悔やんだ。

その後、すぐ病院に到着し、急ぎストレッチャーを降ろして病院内に収容する。

医師に発見時の状況や現病既往(※持病や治療歴)、最終健在時刻、行った処置等を説明し傷病者を引き継ぐ。

帰りの救急車内では振り返りが行われた。

あの時どうしたほうが良かったか?こうしたほうが良かったか?等、意見を出し合った。

次に繋げる為にも、こういった振り返りはとても大事で、帰りの車内では毎回行う。

この1件1件の振り返りが蓄積して経験値となり、救命士、救急隊としての質を上げていく。

どんな環境下、状況下でも常にベストパフォーマンスが出せるように、これからも頑張っていかなければいけない。

後日、「死亡」との診断結果を受ける。

何度か経験していることとは言え、この連絡を受ける度にやるせない気持ちになる。

死因までは知らされないため、自分なりに考察してみた。

あの日は記録的にとても寒い日だったため、「ヒートショック」という現象による急激な血圧変動で心筋梗塞、または脳出血を起こしたのではないかと考えた。

「ヒートショック」とは、暖かい環境から急に寒い環境へ移動したときに起こる血圧変動のこと。

この温度差が大きければ大きいほど、血圧変動は大きく、心筋梗塞や脳出血などを起こすリスクが高くなる。

暖かい布団から寒いトイレに行き、さらに冷たくなった便座に肌が触れることで、急激な血圧変動が起こったと推察される。

ヒートショックを軽減するためには、お金はかかるが便座を暖める機能を付けたいものです。


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