「カランコエの花」感想① 保護者会でLGBTや性同一性障害について突然話されたら?
1.教師が教室で突然LGBTの話をはじめるシーン
映画を見て気になったのは、教師がクラスで唐突にLGBTの話をしだしたシーンです。
これによって、生徒同士での疑心暗鬼が生れたような印象も受けます。
先日、企業系のLGBTアライの方々のグループとお話する機会をいただきました。その方々の間でも、その点で議論があったと聞きました。
2.私の体験。保護者会で親が「性同一性障害」について話されたときの話
思い出したのは、私の中学3年くらい(15年くらい前)のことです。
クラスの保護者たちが集まる保護者会で、教員より保護者に対して唐突に、「性同一性障害」の説明があったようです。(金八先生のドラマのおかげで、この語が広く知られるようになった頃のことです。)
その背景として、私の中学では当時、とあるゲイの子への壮絶ないじめが問題になっていました。
なぜゲイの話なのに性同一性障害(⋯トランスジェンダーに近い話)の説明だったのか?、という点ですが、
当時はLGBT(やSOGI)という言葉はまだ一般的ではなく、
教員の間で、「ゲイも性同一性障害も同じようなもの」と混同されていたのかと思います。
そういうわけで、保護者に対し、性同一性障害の説明がなされました。
それを聞いた母は、家に帰った私に会うや、「話がある」と。深刻な顔で、「性同一性障害なの?」と。
なぜこんなことを聞かれたか。私は中学生時代から隠れて女の子用の服を持っていました。それが何度か母にバレていたからだと思います。
「いや、違う」と答えました。
今思えば、そのとき「そう」と答えていれば、カミングアウトの悩みも早々に消えていました。また、早期のホルモン注射などでトランスとしてはよりよい結果も生まれていたと思われます。また、無駄に男らしく振舞った過去も、背負わなくて済んだかもしれません。
では、なぜそのとき、否定したのでしょうか。
当時の私は、「普通の男の子」になろうと必死でした。
また、性同一性障害と宣言することのデメリット(…たとえば、親が悲しむ。家族とギクシャクする。親族の期待に背く。学校でいじめられる。今後の将来設計が全く読めない。)もよくわかっていました。
このような理由から、あるいは単純に「勇気がなかったから」、即座に、否定してしまいました。
正直、気まずい感じがありました。
あのとき何と答えればよかったのか。
いずれにしても、突然表れたカミングアウトのチャンスは、あっという間に終わりました。
それ以降、およそ15年間、性同一性障害についての話は暗黙のタブーのようになりました。たぶんお互い切り出せない。もちろんLGBTやSOGIについても。
3.親の「あなた」としてはどうするべきか
この話をアライの方々にお話したところ、「親の視点として、とても興味深い」というご感想をいただけました。
もしもの話です。親として参加する保護者会で、「LGBT」や「性同一性障害」について話があったとします。
教員から、「お子さんと話してみてほしい」と言われた場合、どのように対処するのがいいのでしょうか?
なかなか難しい問題です。親子の関係性にも依ったりするかと思います。
機会があれば、アライの方どうし、子を持つ(かもしれない)親として、どうすればいいか、話し合ってみても面白いかもしれません。
4.「いいよ、と言いながら、顔がひきつってる」のは、すぐ分かる
ちなみに、私が当事者のほんの端くれとして、「子供として、こういう対応をされていれば、やりやすいなあ」と思うことは、以下の通りです。
①親から前ぶれなく「お前そうなのか?」とストレートに聞かれると、つらいかもしれないです。というのも、「はいそうです」、と答えれば、泣かれるんじゃないかとか、追い出されるんじゃないかとか、考えてしまいます。
⇒⇒それよりも、「親としてどう考えるか」を伝えてもらえると、うれしいかもしれないです。
「もしもそうだとしても問題ないから、気が向いたら遠慮なく言ってね」など。
もちろん逆に、親から「おれは認めないからな」と言ってもらえれば、子としてはわざわざカミングアウトしようとも思わなくなりますし、成人してからどこかのタイミングで親と距離をとるだけです。それはそれで省力かもしれません。
これは完全に悪いことでもなく、「表面上は」うまくいってるケースもあるかと思います。
なぜ完全に悪いことではないかというと、親が無理しすぎるのもまた、よくないと思われるからです。というのも、子供は、親が無理してるのを敏感に感じとります。たとえば、「いいよ、と言いながら、顔がひきつってる」みたいな状況は、すぐに分かります。心理学的には「ダブルバインド」といわれるような状況ですね。
②肯定するなら、貫き通して欲しい。
私は成人して以降からでしょうか。親から「LGBTでもいいよ」みたいな言外のメッセージを受けとることがありました。「自由に好きに生きてほしい」の延長です。
しかしです。過去に何気ない日常で、親が「おかまちゃん」「おかま野郎」などの言葉を使っているのを聞いたことがあり、それにより心を閉ざしております。
それらは親としては無意識な言葉なのかもしれませんが、耳にした側は、忘れません。
前述の「いいよ、と言いながら、顔がひきつってる状況」になってしまっているわけです。
5.補足
さて、親としてそこまで自然に配慮できるのか。難しいことだと思います。
ただ、もしもお子さんが「当事者」だった場合、そのような親に対しては、生涯まっすぐな愛情を注げるような気もします。
親って難しいですね(^_^;)
私は血のつながった子供はできない体なので、その点で「親という当事者」にはなりにくいかもしれません。
子育てされてるかたは、本当にすごいと思います。
なお、映画のなかで、いきなりLGBTの話がなされた理由ですが、まだLGBTという語が広まって4,5年だった、という背景もあるかもしれません。
今なら、学校でももう少し、その辺うまく触れられるものなのかもしれません。
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