メアリー・デイリーがラディカル・フェミニストとして功罪著しいのは有名です。
一方、「フェミニスト神学者」としてはどのように評価・継承・批判されているのでしょうか?
そのあたりを調べていってみたいと思っています。
というのも、ただいま、イスラームの文脈での論文を書いているのですが、キリスト教神学の議論と一部パラレルなのに気づきました。やはりキリスト教神学もやらないといけないなと思っています。本格的にやる(=論文などにしていく)のは来年度以降ですね。しかしその前に、仏教の方も議論のたたき台だけ提出しておかないと。これは本年度中かな。やること多いですね⋯。しかし何より憂鬱なのは、やはりフェミニズムの文脈を追う必要があるということ。幸い、昨今の日本のアカデミアや宗教界はトランスフォビアがあんまり無いのでいいですね。外国語文献や昔の日本の文献とかは、いきなり背後から刺されるようなものがあって、読んでいて辛いことも多いです(というか楽しくはない⋯。学問の楽しさとか言ってられる人々が羨ましいです)。
以下、参考資料のGoogle翻訳です。