女子割礼と「本当の女」概念
1.「本当の女」になるために、自らすすんで割礼を受ける人たち
「しばしばクリトリスは男性的なものとみなされるので、これを切除することにより、本当の女になるというものです。」
うへえ…
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割礼。まず、人類学とか構造主義とか内在的論理とかで、どんな理屈つけようと、野蛮なものだと思われます。
2.本質論の害悪
何がダメかというのはいろいろあります。が、ひとつには、「本当の女」という議論が、苦しさを生んでしまっているように思います。
「本当の~」「~の本質」という議論(=本質論)は、「(本当の)アーリア人」「(本当の)共産主義」といった言葉を思い返すまでもなく、暴力を生みます。
「割礼(生殖器切除)」は分かりやすい例です。自ら望む人もいますが、望まない人もいます。
やはり、「本当の~」、「~の本質」とか言い出す人は、「本当とは?」とか「本質とは?」とか、もっといろいろ疑ってみるべきだと思います。
3.「本当の女」をめぐって
しかしです。
日常生活では、「本当の女」認定されるのはうれしいし、むしろそれを求めてしまうのは、とても分かります。
概念と承認欲求の闇ですね。
いわゆる、GID(性同一性障害)やGDなんて、ほとんどこれとの闘いです。
そのような人に対して、「本当の女なんていないんだから、手術や名前や戸籍変更なんて、しなくていいんだよ」と言うとしたら、ときにその言葉はすごく残酷に感じられるでしょう。
もっとも、GIDやGDのそれはその困難性が明らかなだけで、シスジェンダー(性別違和がない人)にとっても、「女らしさ」「男らしさ」をめぐって、似たような困難さを感じられるときが多分にあるかと思われます。
4.処世術
一応、考えられる処世術を記してみます。
それは、「絶妙な距離を取り続けること」。
近づきすぎず、離れすぎない。
考えても仕方のないことに囚われてしまうのは時間の無駄です。
「これはどうしたって、どうしようもないな」
そう思ったら、うまく逃げて回避しましょう。
人生は短いです。
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