2011年12月14日『プロレスとわたし』
【中井祐樹Diary on Facebook 2011-2013】
かつてFacebookにて投稿していたコラムをまとめた旧「ノート」機能の廃止により、こちらに復刻リンク致します。
のちの拙著『希望の格闘技』(2014年刊行)の原型ともなりました。
【10年前の2011年12月14日のコラム】
僕とプロレス。
格闘技をやっている人は、僕以外、親類には誰もいない。
ただ、物心ついたときから一家で大相撲好きで輪島派・北の湖派で盛り上がり、祖父母がキック(沢村忠・末期)、ボクシング、そしてプロレス好きだった。憧れが自然に兄を経由して伝播し、熱狂的プロレスファンが誕生したのだった。
今にして思えば、同時期か少し前から見ていたヒーロー物のリアル版がきっとプロレスだったんだろう。「総合」的な感じが、また。
G馬場、J鶴田が特に大好きだった。レスラーとしては勿論、人間そのものに憧れた。安心感とでも言えばいいのか。
PRIDEやDREAMを僕が根本的に好きなのも、チャンピオン・カーニバル的な匂いを感じ取っているからに違いない。
(ちなみに、私的妄想内・最高のカードは鶴田vs猪木。時代設定は昭和58年でお願いしま~す。)
てな訳で現在に至るまでプロレス的な世界観で物事を捉えるクセが全く抜けない。この年齢でそうなのだから治す(?)のはかなり難しいだろう。もう、このまま行くしかないか!
ただ、この際だからハッキリ言うが、僕はプロレスがあったから生きてこれたのだ。いくら感謝してもし切れない。ヒーロー達がいてくれたお陰で、今もやっていけてる。間違いない。
明治大学文学部教授・教育学者の齋藤孝氏が『子どもに伝えたい<三つの力>』(NHKブックス刊・2001年)などの諸作で、教育の根幹は「あこがれにあこがれること」だと述べている。
自分なりに噛み砕いて言うと、師(的存在)の、何かを希求する姿が生徒を触発させ、成長させるのだということだ。僕にとって時代を彩ったプロレスラー達は師、そのもの。
これからも、広義の、そして真の「強さ」に憧れ、学び続けて行き(生き)たい。又、それが何かに繋がっていくことを確信して止まない。
初出:2011年12月14日のウォール