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#172 ルタ・リーブリの話

今回は『ルタ・リーブリ』というテーマで話しました。

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ルタ・リーブリについて柔術歴史研究家の奥田照幸さんに聞きました。

ルタリーブリの歴史は柔術以上に複雑で面白いです。

英語ですと、フリーファイトなので、
①総合格闘技
②レスリング
③プロレス
と3つの格闘技を差しますので、それがより一層事態を複雑にしてます。

ブラジリアンサブミッションレスリングを意味するならば、便宜的には1914年生まれのエウクレイデス""タトゥ(意味:アルマジロ)アテムを始祖としていて、ベースはグレコローマンレスリング、絞めや関節は柔道・柔術から来ています。
ブラジルの柔術家やウゴ、その師匠のブルノシーラもはっきりグレコローマンと言ってました。

タトゥには3人の師匠がいました。

①フフィーノ・ドス・サントス:リオのYMCAの体操教師で、アメリカでレスリングを身に付けた。カーロス・グレイシーに勝利。ルタリーブリのチャンピオン。

②アメリコ"ドゥードゥー"シウバ:サンパウロの柔術とルタリーブリのチャンピオン。ルタリーブリのブラジル選手権でペドロ・ブラジルに負け。
エリオやジョルジ・グレイシーの師匠の1人。後にジョルジに勝ち、エリオに負け。

③アルイズィオ"プロフェッサー・ロアンジ":前田光世がミナスジェライス州にいた頃に習っていた。
興行主、道場主、選手のマネージャー、トレーナーを務めた。
ミナスジェライスで道場を主宰し、大会も開催。大森、矢野、ジョルジ、ドゥードゥー等で皆で技術交流。
タトゥの最終的なトレーナー、マネージャー。
後に柔道家になり、リオグランデ・ド・スル州の柔道の父と言われる。
ルーツとする柔術はアラバタ柔術。今でも柔道大会に名前を冠した大会がある。

ルタリーブリ・エスポルチーバ(ブラジリアンサブミッションレスリング)は新しい競技で90年代にウゴを中心に協会が出来ました。

先述のように色々な意味があり複雑で、ヴァーリトゥードと同じ意味(フリーファイト)で使われる事もあり、40年代、50年代は完全にプロレスでした。

大森や矢野は、海軍やクラブチームで柔術とルタリーブリの指導員を務めていましたし、1947年にはジョルジ・グレイシーと矢野武雄が共同で柔術とルタリーブリの道場を経営していました。

エリオやカーロス、ジョルジの兄弟のオズワウドは1941年にはミナス・テニス・クラブと言うところで柔術ではなくルタリーブリの指導員を務めていました。

良く言われる柔術対ルタリーブリは本来は柔術対ムエタイが始まりでして、そこから柔術対ブルノシーラ派ルタリーブリが抗争を繰り広げる事になりました。

個人的な意見ではありますが、ブラジリアン柔術とルタリーブリは極論ですと同じ格闘技だと思っています。

因みにブラジルでノーギの戦い作ったのは大森だと、言われていて彼はアメリカでグレコローマンの経験が豊富だったと言われています。

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