#172 ルタ・リーブリの話 4 中井祐樹のゴキゲンnote 2022年11月3日 11:30 今回は『ルタ・リーブリ』というテーマで話しました。最新のstand.fmはコチラからどうぞ。ルタ・リーブリについて柔術歴史研究家の奥田照幸さんに聞きました。ルタリーブリの歴史は柔術以上に複雑で面白いです。英語ですと、フリーファイトなので、①総合格闘技②レスリング③プロレスと3つの格闘技を差しますので、それがより一層事態を複雑にしてます。ブラジリアンサブミッションレスリングを意味するならば、便宜的には1914年生まれのエウクレイデス""タトゥ(意味:アルマジロ)アテムを始祖としていて、ベースはグレコローマンレスリング、絞めや関節は柔道・柔術から来ています。ブラジルの柔術家やウゴ、その師匠のブルノシーラもはっきりグレコローマンと言ってました。タトゥには3人の師匠がいました。①フフィーノ・ドス・サントス:リオのYMCAの体操教師で、アメリカでレスリングを身に付けた。カーロス・グレイシーに勝利。ルタリーブリのチャンピオン。②アメリコ"ドゥードゥー"シウバ:サンパウロの柔術とルタリーブリのチャンピオン。ルタリーブリのブラジル選手権でペドロ・ブラジルに負け。エリオやジョルジ・グレイシーの師匠の1人。後にジョルジに勝ち、エリオに負け。③アルイズィオ"プロフェッサー・ロアンジ":前田光世がミナスジェライス州にいた頃に習っていた。興行主、道場主、選手のマネージャー、トレーナーを務めた。ミナスジェライスで道場を主宰し、大会も開催。大森、矢野、ジョルジ、ドゥードゥー等で皆で技術交流。タトゥの最終的なトレーナー、マネージャー。後に柔道家になり、リオグランデ・ド・スル州の柔道の父と言われる。ルーツとする柔術はアラバタ柔術。今でも柔道大会に名前を冠した大会がある。ルタリーブリ・エスポルチーバ(ブラジリアンサブミッションレスリング)は新しい競技で90年代にウゴを中心に協会が出来ました。先述のように色々な意味があり複雑で、ヴァーリトゥードと同じ意味(フリーファイト)で使われる事もあり、40年代、50年代は完全にプロレスでした。大森や矢野は、海軍やクラブチームで柔術とルタリーブリの指導員を務めていましたし、1947年にはジョルジ・グレイシーと矢野武雄が共同で柔術とルタリーブリの道場を経営していました。エリオやカーロス、ジョルジの兄弟のオズワウドは1941年にはミナス・テニス・クラブと言うところで柔術ではなくルタリーブリの指導員を務めていました。良く言われる柔術対ルタリーブリは本来は柔術対ムエタイが始まりでして、そこから柔術対ブルノシーラ派ルタリーブリが抗争を繰り広げる事になりました。個人的な意見ではありますが、ブラジリアン柔術とルタリーブリは極論ですと同じ格闘技だと思っています。因みにブラジルでノーギの戦い作ったのは大森だと、言われていて彼はアメリカでグレコローマンの経験が豊富だったと言われています。『中井祐樹のゴキゲンRADIO』では中井祐樹への質問や「こんな話を聞いてみたい」等々のテーマを募集しています。stand fmのレターからお待ちしています。 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #日記 #ブラジリアン柔術 #BJJ #中井祐樹 #パラエストラ #希望の格闘技 4