世界へ翔け!塚原心太郎選手の挑戦!
インタビュアー:この記事を読んでくださる方の中には、心太郎選手のことを初めて知る方もいらっしゃるかと思います。
自己紹介をお願いします!
心太郎選手:はじめまして。塚原心太郎です。
18才の高校3年生です。
僕は、3歳の時に事故に遭い、下半身付随となりました。それからはずっと車いすで生活をしています。
小学生の頃は、車いすテニスをしていて、中学生からパラアルペンスキー(チェアスキー)に転向しました。
今は、冬季パラオリンピックへの出場を目指し、日々練習に取り組んでいます。
パラオリンピックへの出場権獲得のため、2025年1月から4月に開催されるW杯に参加予定です。
よろしくお願いします!
インタビュアー:ありがとうございます!心太郎くんは、どうして車いすテニスからチェアスキーに転向しようと思ったんですか?
心太郎選手:車いすテニスは、選手の障害の幅がかなり広く、僕みたいな下半身付随の選手もいれば、腹筋が機能していたり、片足は感覚があったりする選手もいるんです。
僕は腹筋から下が動かせないので、腹筋や足が使える選手と比べ、踏ん張りが効かない分、どうしてもサーブや返球の威力が弱くなってしまったんです。
5歳からテニスを始めたのですが、徐々に上位の選手たちとも試合をするようになってきた小学校中学年くらいの頃に、「もしかしたらテニスで上を目指し続けるのは難しいのかもしれない」と薄々感じ始めました。
そんな時に、ご縁があってパラアルペンスキーの協会の方からお声がけいただき、始めてスキーを体験する機会がありました。
小学生の間は、競技としてテニスを続けながら、パラアルペンスキーの練習にも取り組み、ジュニアの大会にも参加させていただきました。
最も大きな転機になったのは、中学1年生でニュージーランドに行き、パラオリンピックメダリストの森井大輝選手と一緒に練習をさせていただいたことでした。
プロの滑りを間近にし、それまで以上にパラアルペンスキーを「競技」として意識するようになりました。
その後、中学3年生でJ-STARプロジェクトの4期生に合格し、パラアルペンスキーへの転向をしました。
インタビュアー:パラアルペンスキーの好きなところ、魅力はどこですか?
心太郎選手:誰にでもチャンスが平等にあるところです。
選手ごとの障害の重度を審査する会が、2年に1回設けられており、それぞれの選手の状態に応じて、ファクター※1が決められます。
座位と立位、男子と女子は分かれていますが、たとえ障害が重くても、運動神経が良かったり、努力をしたりすれば、どの選手にも上位に食い込むチャンスがある、というところが魅力だなと思います。
※1 ファクター(ファクター方式)
パラアルペンスキーなどのパラスポーツにおいて、障害の種類や度合いに応じて公平な競技を行うために、実測タイムに補正をかける仕組みは「ファクター方式」と呼ばれます。
この方式では、選手の障害クラスごとに設定されたファクター(係数)が適用され、実際のタイムにその係数を掛け合わせて計算することで、最終的な順位が決定されます。これにより、異なる障害クラスの選手が同じレースで競うことが可能になります。
インタビュアー:愚問かもしれませんが…滑っている時は、怖くないのですか?
心太郎選手:恐怖心はないです。急斜面や、レベルの高いコースでも、恐怖感なく滑ることができています。
むしろ、レース後のタイムを見る時のほうが怖いです(笑)
最近では、レーススタート時の緊張も段々と無くなってきているのを感じています。
レース自体を楽しんで、自信を持って滑れるようになってきていることを体感しています。
インタビュアー:すごいですね!
ここまで滑れるようになるまでに、どんな練習を重ねてきましたか?練習で意識していることがあれば教えてください!
心太郎選手:自分の滑りを撮影し、客観的に見て直すところはないか、できている部分はどこか、ということを分析し、練習に反映させています。
まだまだ改善したいところも沢山ありますが、少しずつ自信を持てる部分も増えてきて、最近は自分の滑り(映像)を見るのが好きです。
あとは、大会を意識した練習を心がけています。
普段の練習では、試合のつもりで滑ることを意識して、逆に試合の時には練習のような雰囲気で臨んでいます。
緊張しすぎずに本来の力を出し切って滑るための工夫です。
インタビュアー:段々と試合慣れしていっているんですね!ちなみに、試合前のルーティンはありますか?
心太郎選手:まだ特別に決まったルーティンはないのですが、体を温めることは、日頃トレーナーさんからも言われているので、特に意識しています。
これからもっと多くの大会に出場する中で、良い結果に繋げるための自分なりのルーティンを作っていきたいです!
インタビュアー:これからもまだまだ心太郎くんの挑戦は続きますね!心太郎くんの今後の夢、目標を教えてください。
心太郎選手:パラアルペンスキーの認知度が低く、競技人口もまだ少ないので、自分がきっかけとなって少しでも競技のことを知ってもらいたいです。
そして、まずは遊びでもやってみたい、チャレンジしたいと思う人を増やしたいです。
自分自身も、初めは遊び感覚で始めたスキーでしたが、やってみたらとても楽しくて、今こうして競技として続けられているので、そういう方を増やしていきたいなと思います。
心太郎選手母:オリンピックは見るけど、パラリンピックは見ないという人も多いと思うんです。
ぜひ一度見てもらって、みんなの頑張りを知ってほしいし、そういう機会を作っていきたいと思い、心太郎の挑戦を応援しています。
心太郎選手:そのためにまずは、次の大会で良い成績を残したいです。
前回の大会でメダルを取った時よりも、高いレベルの選手と戦うことになるので、タイム差を離されないようにたくさん練習して、高い順位目指します!
自分の頑張りが結果に現れ、その結果が日々精一杯生きている方を勇気づけられたら嬉しいです!
インタビュアー:最後に、応援してくださる皆様へのメッセージをお願いします!
心太郎選手:いつも温かい応援をありがとうございます。
メダルを持って帰り、応援してくださっている皆さんに少しでも恩返しができるよう頑張ります。
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塚原心太郎選手の生い立ち
3歳:交通事故で下半身付随となり、車いすでの生活となる。
5歳:車いすテニスを始める。
小学校2年生:チェアスキーと出会う。以降、日本チェアスキー協会ジュニア普及部にて毎シーズンスキーを行う。
中学1年生:ご縁があってニュージーランドに。パラアルペンスキー メダリストの森井 大輝選手 ※2と練習をする
中学3年生:J-STARプロジェクト※3 4期生に合格
高校1年生:パラアルペンスキーの大会に初出場
現在に至る。
補足
※2 森井 大輝選手
森井大輝(もりい たいき)選手は、日本を代表するパラアルペンスキーのトップ選手で、シットスキー(座位)カテゴリーで活躍しています。
17歳でバイク事故により脊髄を損傷した後、スキーを始め、2002年ソルトレイクシティ大会からパラリンピックに出場。2018年平昌大会ではスーパー大回転で銀メダルを獲得し、多くの人に感動を与えています。
※3 J-STARプロジェクト
JJ-STARプロジェクトは、障害者スポーツの普及と発展を目的とした取り組みです。
スポーツ庁、独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)、公益財団法人日本スポーツ協会(JSPO)、公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)、および公益財団法人日本パラスポーツ協会日本パラリンピック委員会(JPSA/JPC)が、中央競技団体と連携して運営しています。
スポーツを通じて障害者の社会参加や活躍の場を広げることを目指し、競技環境の整備や選手育成、理解促進のためのイベントや教育活動を行っています。