波瑠ちゃんユニバース

「小暮さん、出れそう?」
「はい!今行きます!」
 オフィスを出る寸前まで資料作りが立て込み、バタバタと外回りへ行く準備を始める私。
「お待たせしました」
「じゃ、行こうか」
 サンリノベーション。私はこのリフォーム会社で企画営業をしている。入社してもう1年になるけど、なかなか仕事が手に着く気配はない。正直、この仕事が私に向いているとは思っていない。大事な仕事なのはもちろん分かっている。けど、何というか、ずかずか人の領域に踏み込んでいって自分の旗を立てに行く感じがして、どうも苦手だ。
 それでも、私にはこの仕事を頑張ろうと思える動機がある。

「あそこのお部屋、良かったねぇ~!」
 ここまで長かった。いくつもの不動産屋さんのホームページや窓の張り紙を見て廻って、いくつも内見行って、ようやく出会えた理想の部屋。
「1LDK。マンションの3階で南向き。駅から徒歩15分。これで12万。防音室はやっぱり無理だったけど……」
 内見でもらったパンフレットを見ながら横を歩く新社会人。背が高くてキラキラ。これが私の彼氏の理人くん。
「そんな新社会人なのに夢がどんどん叶っちゃ罰当たるよ!」私はそう言って理人くんの背中を叩いた。
「どんどんって何だよ」
「えぇ?私と付き合うの夢じゃなかったの?」
「そんなこと自分で言うのかよ」
「えぇ~、違うの~?」柄にもなく何度も理人くんにぶつかってみる。
「面倒くさいな」
 そう呆れたように言って、私がぶつかる度に身体を揺らす理人くん。可愛い。
「これでまたバイオリン弾く時はカラオケとか行かないと」
「そうだねぇ。まぁ、カラオケとかの方が、お休みの時とかまた気軽に幸恵さん呼べるじゃん!」
「そうだけど……半分ずつ出し合っても防音設備付きはやっぱり無理だったか……」
「ん?」今の言葉が引っかかった。「“半分”?」
「うん。也映子さんの25万と俺の23万。これを合わせて48万円で、その3割だと大体14万。半分ずつだと7万だけど、2人暮らし用で防音設備ありだと、全然足出るから」
「ん?」ここで私と理人くんの認識の違いが明らかになった。「え?家賃半分ずつ出すの?」
「え?そうじゃないの?」
「え~……」首を傾げる。「でも~……理人くん新社会人だし~……私の方が社会人歴長いから~……私が多めに出しても……良いよ~?」それとなく認識の違いを伝えるために、語尾を伸ばして、かつ尻上がりにして言ってみる。
 それを、理人くんは「いやいや」と言ってすぐ否定する。「収入同じぐらいだし、一緒に住むんだから半分ずつで良いでしょ」
「んー……いや、それでも、良いんだけどね~?」
「何?あ、まさか女なんだから割合減らせって話?」
「違うよ!そうじゃないよ!けどねぇ……」
「マジで何?」
 私の言いたいことを分かってくれないので、思わず口を尖らせてしまう。改めてちゃんと言うとなると恥ずかしかった。「私の方が多めに出して格好つけたい」
「え?何?」
 無意識のうちに小声早口になって、うまく聞こえなかったらしい。私は意を決して立ち止まって、理人くんにちゃんと言葉をぶつけた。「私の方が多めに出して格好つけたい!!」
「はぁ?」彼女の決死の叫びを一笑に付す我が彼氏。「そういうの俺の収入の2倍ぐらいになってから言うやつでしょ。新社会人と収入トントンなのに見栄張られても困るんですけど」
「いや、けど私も一応年う」
「年上だから年下より多く出さなきゃっていうのも古いし、もしかして俺より多く家賃出して私が養ってるってマウントとりたい感じ?そういうのダサいって」
「な……!」

 絶対理人くんより収入2倍になってやる。
「小暮さん?小暮さん?」
「はい!」隣で上司の細田さんが呼びかけてくる声がして、素っ頓狂な返事をしてしまった。
「大丈夫?緊張してる?」
「いや、大丈夫です!」
「リラックスね、リラックス」
「はい」
 落ち着いてるふりして深呼吸してみたけど、やっぱりお客さんの所へ営業に行くのは緊張する。けど、今回はこれまでより意気込みがあった。
「あれから防音関係の資料は集められた?」
「はい。先方の間取りがまだ分からないので断定はできないですけど、部屋全体を防音にするなら、大体300万円ぐらいはやっぱりかかりそうですね」
 そう。今回の案件は、自宅の部屋を防音室にリフォームしたいというご依頼だった。何でも、自宅でバイオリンの練習をしたいのだそうだ。
「300万円で応じてくれるかな?」
「うーん。どうでしょう……先方も、それぐらいかかるなってことは何となく把握してそうですけど……」
「うん……まぁ、そこは小暮さん期待してるよ」
「はい。頑張ります!」
 これまでは細田さんがメインで私はサポートに回ることが多かったけど、今回は防音室のリフォームのご依頼ということで、理人くんの収入2倍計画もあったので、私がメインでやらせてもらうことになった。部屋を探していた時に防音設備付きの部屋を色々見てきたので、その経験も活かせると思った。それに、バイオリンが趣味ということで、もしかしたら会話も弾むかもしれないという期待もあった。
「ここだ」
 タクシーで降り立ったのは、閑静な住宅街。並び立つ家が軒並み豪華で、この街の経済力を思い知らされた。ご依頼のあったお客様のお家も、なかなか立派だった。幸恵さん家とどことなく雰囲気が似ている。
「それじゃ、行こうか」
「はい!」
『大河原』と書かれた標識の前に立ち、唾を飲んで緊張を押し込めて、息を整えた。そして、インターホンを押す。ピーンポーン、ピーンポーンと2回音が鳴ると、すぐに人の良さそうな年配男性の声がした。
「はい」
「あ、初めまして。サンリノベーションの小暮と申します。リフォームのご相談に伺いました」
「あぁ!いらっしゃい。ちょっと待ってくださいね」
 間もなく、大河原さんが出てきた。私たちはすぐにお辞儀をした。「初めまして。サンリノベーションの小暮と申します」「同じく細田と申します」
「はい、どうも」大河原さんは門扉を開けてくれた。
私は、「こちら、名刺になります」と言って、大河原さんに名刺を手渡した。細田さんもそれに続いた。
「ご丁寧にどうも。どうぞどうぞ入って」
「ありがとうございます。お邪魔します」
 大河原さんに連れられ、ご自宅に入れさせてもらった。広い玄関。広い廊下。リビングだけで私と理人くんの新居が埋まりそうだ。
「家内は買い物に行ってていないんですわ」
「あぁ、そうなんですね!」
「散らかってますけど、ここ座ってください」
 対面キッチンのすぐそばの食卓の上座側に促されたが、私は「ありがとうございます。では、こちらで」と言って、細田さんと並んで下座に着いた。
「いやー、今日はわざわざご足労頂いて」
 そう言いながら、大河原さんは細田さんの向かいに座った。
あー、そっか……
出鼻を挫かれたような気がして、一瞬焦燥が胸の中を駆けた。大丈夫。平常心。平常心。
気を遣ってくれたのか、細田さんは「それじゃ、小暮さん始めて」と、ターンを私に渡してくれた。
「はい!」私は大河原さんに顔を向けると、頭を下げた。「改めまして、この度は弊社にリフォームのご相談をしてくださり、誠にありがとうございます」
「いや、家内がね、音楽教室の友達にお宅をオススメされたって言うんですよ」
「なるほど」私はバッグからノートとペンを取り出した。「そうなると、バイオリンは奥様が?」
「そうなんですよ。いやぁ、実は私、最近定年でずっと勤めてた会社退職したんですけどね、家内が、私が仕事に行ってる間にバイオリン教室に行ってたんですよ」
「なるほど」
「家のこと放ったらかして、まさか家の金使い込んでるんじゃないかって思ったんですけど、あいつ、結婚する前に働いてたから、その貯金貯め込んでたんですわ。その通帳取り上げたんですけどね!ハハハ!」
「はい……」
「だからね、音楽教室なんてお前がやっても無駄だし金かかるから辞めろって言ってやったんですよ。そしたら、それじゃ私の部屋を防音室にしてくださいって言うんですよ」
 この時点で、私の中にあった今回の案件への意欲が既に消えかかっているのに気付いた。あまりに冷たい暴風が容赦なく私に吹き付けた。
「音楽教室はお金がかかりますからねぇ」細田さんがそう受けた。
「そうでしょう。けど、ネットで見たら、部屋全体を防音室にするとなると、300万円ぐらいかかるそうじゃないですか。そんなの、趣味にかける金額じゃないでしょ?だから、ご相談しようと思ったんですよ」
「そうなると、ご予算としては、大体おいくらぐらいで考えられてますか?」細田さんがそう切り込む。
「いやぁ、本当は一銭も出したくないんだけど、まぁ、家内の機嫌をとるのも旦那の務めじゃないですか。だから、100万で手を打ちたいなと思って」
「100万円ですか……なるほど……」
 細田さんが口ごもる。会話の主導権が宙に浮くと、気付けば私はそれを掴んで、ある質問をしていた。
「それじゃ、奥さんがいらっしゃるときにお話した方がよろしいのではないでしょうか……?」
 細田さんがぎょっとした目で私を見る。私もそんな質問をした自分にびっくりしていた。
 そして、それは大河原さんも同じようだった。「金は私が出すんだから、家内は必要ないでしょう」
 いつものビジネスのテンポで返事をしようとしたが、思わず言葉に詰まってしまった。100万円で部屋全体を防音室にリフォームするというのが難しそうというのもあったが、単純に目の前の人物と話すことへの嫌悪感が勝っていた。
大河原さんは、「だから、100万でどうにかならないでしょうか?」と、正面の細田さんに尋ねていた。
「うーん。そうですね……」
 答えに窮する細田さん。私も、何と言って良いのか分からなかった。ここでできませんと言えばそれで終わりだが、できるかもしれないと下手な期待を持たせるわけにもいかない。気付けば、気まずい沈黙が渦巻いていた。
 それを、ピーンポーンという音が破った。
「うん?何だろう?」大河原さんは立ち上がって、リビングのドアのすぐそばの壁に設置されたインターホンのボタンを押した。「はい?」
「初めまして。まるふく工務店の者ですが」
 工務店。その言葉に私と細田さんは同じタイミングで後ろに振り返った。
「あれ?今日でしたっけ?」
「はい。本日3時からリノベのご相談ということで伺っておりましたが……」
「あぁ、そうでしたか!少々お待ちください」そう言ってインターホンを切って、大河原さんは玄関へ向かった。
 私は細田さんと顔を見合わせ、互いに首を傾げた。状況が掴めなかった。
「いやぁ、先に相談をお願いしてたの、すっかり忘れてましたわ。ハハハ!」
「そういうことありますよね!」
 何やら賑やかな声が廊下の方からしてくる。相手は女性のようだった。
「どうぞ、こちらへ」
 大河原さんに連れられて、その声の主が現れた。やって来たのは、2人の男女だった。
「初めまして~!」
 女性の方が私たちに気付いて、こちらに向かってきた。私と細田さんも自ずと立ち上がっていた。
「まるふく工務店の真行寺小梅と申します」
(続く…?)

――――
 企画営業ってこういうお仕事するんですかね? 再就職先がリフォーム会社で営業というだけで、大体小梅ちゃんと同じでしょと思って書いちゃいましたが……。仮に違ったとしても、そっと受け流してください。
 あと、ドラマで描かれてたキャラが話しそうなことを話しそうな口調で再現するのムズい!

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