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波瑠ちゃんファンによる映画『アナログ』ネタバレ感想④

波瑠ちゃんファン目線でお送りしている『アナログ』ネタバレ感想。最終回は、ラストのシーンまで見て行こうと思います。いよいよ起承転結の結です。最後は、結局みゆきさんってどういう人なんだろうというのも考えてみようと思います。見ていきましょう。
第3回はこちらからどうぞ。


悟の決意

「時間というのもの質量」

みゆきの真意を知り、浜辺で考えを巡らした悟は、遂にある決断をします。それは、意思疎通もできなくなったみゆきさんとずっと一緒にいることでした。
後日、お姉さんを訪ね、介護の勉強もするからみゆきさん(奈緒美さん)と一緒にいさせてほしいと頼み込みます。しかし、お姉さんは、「あなたにとっては一時の感情でも、私たち家族にとっては、これは一生続くことなの」と言って、断ります。お姉さんは、きっとみゆきさんが生まれてから共に時間を過ごしてきて、今後も一緒に過ごしていくこととなります。なので、たかだか1年にも満たない時間しか過ごしていない悟から一緒にいさせてほしいとお願いされても、果たしてその重さを分かっているのか疑ってしまったのでしょうね。この台詞については、パンフレットの倉本さおりさんのコラムに詳しいです。倉本さんは、この時間の重さを「時間というものの質量」と表現しています。
しかし、悟は、その質量をちゃんと理解していました。会社を辞めて独立し、湘南に引っ越して、みゆきさんを毎日見舞うことにしたのです。正直、初見の時は、週1会うか会わないかだった女性と会うためにここまで出来るのは凄いなと思いました。けど、その分長さでは語り切れないアナログな時間が2人の間に流れていたのだろうとも思いました。

「愛するって、ああいうことかも」

クリスマス。悟はピアノで高木と山下に会っていました。会社を辞めた後も仕事をもらえて幸せ者だよなどと話していましたが、みゆきさんを見舞う時間になると、悟は店を出ていきました。その背中を見て、
高木「今すぐ誰かに好きって言いたい気分」
山下「愛するって、ああいうことかも」
完成披露試写会で、この山下の台詞が本作を表していると監督が仰っていました。それまで悟が独立して仕事していることについて話していたことからしても、「ああいうこと」というのは、何があっても会いたいと思うことなのかなと思いました。実際、公式HPに載っているキャッチコピーは、「会いたい。たとえ何があっても」ですしね。

教会での告白

その日、悟はみゆきさんを、前に訪れた月のクリスマスツリーのある教会へ連れて行きます。前にここへ来た時にみゆきさんが言っていた、クリスマスの時期にいつか来てみたいという願いを叶えてあげました。
そして、主に見守られながら、悟はみゆきさんにプロポーズしました。初めてのプロポーズは悟の大事な人との居場所である海だったのに対し、今回は、みゆきさんにとっての思い出の場所でした。そのため、海でのプロポーズには、僕のそばにいてくださいという意味があり、教会でのプロポーズには、あなたのそばにいさせてくださいという意味があるように思えました
ちなみに、ロケ地となったのは、大磯カトリック教会です。筆者が訪れた時は門が閉まっていましたが、管理人の方が快く中に入れてくださり、教会の説明までしてくださいました。教会に来たのは初めてだったので、神社やお寺とは違う厳かさに圧倒されつつ、その木の色味の温もりやシンプルな造りの素朴さにどこか居心地の良さも覚える、不思議な空間でした。

主が動くかもしれないらしい

ラストシーン

「今日から、ずっと木曜日です」

教会でのプロポーズから1年後。悟はみゆきさんを海へ連れ出し、ピアノのコーヒーを飲んでいました。すると、みゆきさんの手が触れました。なんと、みゆきさんの手が動いたのです。そして、消え入りそうな声で、こう口にしました。
「モクヨウ」
これに対し、悟は笑顔でこう返します。
「今日から、ずっと木曜日です」
この台詞、初見の時は違和感がありました。だって、悟は1年前から既にみゆきさんを毎日見舞っており、今日までずっと2人は会ってきましたから。「今日も木曜日です」ならまだしも、「今日から、ずっと木曜日です」だと、それまでの日々はどうなってしまうんだと思いました。
この台詞については、前の記事で述べた、みゆきさんもまた恋の主体であるというのが、理解の助けになるのでないかと考えました。事故に遭ってからこの時まで、みゆきさんは誰の言葉に対しても一切反応を示しませんでした。そういった状態のみゆきさんはとても恋の主体にはなり得ず、悟も、たとえ彼女を毎日見舞っていたとしても、恋の客体としてしか接することができませんでした。しかし、この時、みゆきさんが悟の言葉に反応を示し、2人が会うと約束した「モクヨウ」と口にします。これは、みゆきさんが再び恋の主体になったことを意味しています。これまで述べてきた通り、2人の主体が連続的な時間を紡ぐことがアナログな恋ですから、みゆきさんが改めて恋の主体になったその日が、2人にとっての「ずっと木曜日」の始まりの日だったのではないでしょうか
ちなみに、この海岸のロケ地は、サザンビーチ茅ヶ崎です。駅前からこちらに続く道も「サザン通り」と、ド直球のサザンの聖地ですが、訪れると、ちゃんとこのシーンの気配を感じることができます。悟が座っていた階段もありましたが、物凄く砂を被っていて、ロケ隊の皆さんの苦労が偲ばれました。

快晴の日に行けて良かった

バイオリンを弾くみゆきさん

「今日から、ずっと木曜日です」と悟が答えた後、画面は(おそらくサザンビーチ茅ヶ崎の)打ち寄せる波と、舞台の上でピアノを弾くみゆきさんを映し出しました。冒頭のシーンの女性はみゆきさんでした。
完成披露試写会には筋金入りの波瑠ちゃんオタクの人たちと参戦したのですが、観終わった後、まず最初に出てきた感想が皆さん同じでした。
「波瑠ちゃんがバイオリン弾いてた…」
やっぱりバイオリン×波瑠ちゃんはあの人を思い出しちゃいますよね……あの作品が波瑠ヲタに残したものはあまりにも大きい。それに、原作を読むと、悟がみゆきのバイオリンを弾いている姿を思い浮かべるみたいな描写はないんですよね。え、もしかしてアナログ制作陣に波瑠ヲタかG線ヲタいる?どちらでもある自分としては、みゆきさんが波瑠ちゃんだからバイオリンのシーン増やしました!!って言質とりたい。でも多分ネタバレになるからみゆきさんがバイオリニストだってことはPRでも表立って触れられてないですよね…再びバイオリンを披露するのを波瑠ちゃんがどう思ってたのかとか聞きたいな。

空想シーンの意味

ところで、このシーンにはどういう意味があるのでしょうか?悟は舞台の上でバイオリンを弾くみゆきさんを直接見てはいないので、このシーンは回想ではなく空想であることは分かります。
色々な解釈があると思うんですけど、筆者は、悟とみゆきの大事な人との居場所にお互いがいることの表現だと感じました。前の記事で述べた通り、悟の大事な人との居場所は海でした(悟が「涙のキッス」を歌い、ラストの海岸のロケ地がサザンビーチであることからすると、悟にとっての思い出の地は、具体的にはこの海岸なのかもしれません)。そして、みゆきさんにとっての大事な人との居場所は、ミハエルと共に音を奏でてきたコンサートホールです。本作の冒頭のシーンでは、海には誰もおらず、コンサートホールにも、みゆきさん以外誰もいませんでした。これは、当時の2人の孤独を表しているのではないでしょうか。しかし、今は海にはみゆきさんがいて、コンサートホールの客席では、悟がみゆきさんの演奏を聞いています。お互いの大事な人との居場所にお互いがいるのです。これ、2人の主体が連続的な時間を紡ぐアナログな恋の究極的な形ですよね。だって、2人はそれぞれの大事な人との居場所にずっといるんですから。アナログな恋を前面に押し出した本作の終着点として、またとない幕切れだと思いました。

まとめ

ということで、よく分からんこと感想をつらつら書き殴ってまいりました。ここで述べたことはもちろん個人の解釈ですし、いや、それはおかしいという部分も多々あると思います。その場合には、後学のためにも、ご指摘くださると幸いです(そもそも4回しか観てないから台詞とか展開とか記憶違いしかない気がする……)。
ただ、本作を通して、気軽に人と繋がれる時代にあって、人と会い共に時間を紡ぐことの尊さに触れることができました。みゆきさんを波瑠ちゃんで見ることができて本当に良かった。純真さや可憐さ、物腰柔らかさを兼ね備えた波瑠ちゃんにしか演じられないみゆきさんだったと思います。

どういう人なの、みゆきさん?

ここまで、アナログ自体の感想を述べてきましたが、結局、みゆきさんってどういう人なんですかね?最後にそれを考えて終わりたいと思います。

『相棒』の茜さんっぽさ

まず思い浮かんだのが、『相棒11』元日スペシャルの茜さんでした。ホテルオーナーの令嬢で、品のあるおしとやかな女性。けど誰とでも分け隔てなく接する物腰柔らかさがあり、ふとしたところでお茶目さも垣間見えるというキャラクターでした。みゆきさんも、お家見てたら、結構お金持ちそう…?笑。国際的バイオリニストでもちろん品はあるし、もちろんおしとやか。けど立ち飲み居酒屋で落語の一幕を披露する茶目っ気もあり。え、完璧だなこの人……個人的に茜さんは自分が波瑠ちゃんを知るきっかけになった思い出深い人なので、その人と似てる女性を今見れたのは、何か感慨深かったですね。

『流れ星』の奈緒子さんっぽさ

どこか過去に陰を背負っているという点では、『流れ星が消えないうちに』の奈緒子さんも似てる気がしました。そういえば、奈緒子さんも恋人を失って過去から踏み出せていない人でしたね。過去を引きずり、自分の部屋で寝れないので玄関で布団を敷いて寝る日々。これは奈緒子さんなりの現実逃避の仕方なのでしょうけど、きっと、みゆきさんが携帯を持ってなかったり、美春と名乗ったりしてたのも、同じことなのかなと思いました(携帯持ってないのは日本に戻ってあれこれ詮索されるのが嫌だってことでしたけど、それも、それまでの自分でいることからの逃避といえるのではないでしょうか)。

『ホテルローヤル』の雅代さんっぽさ

現実からどこか浮いているという点では、『ホテルローヤル』の雅代さんも思い浮かびました。雅代さんは自分の人生をどこか他人事 のように生きてきました。みゆきさんも、帰国後は美春みゆきと名乗り、それまでとは別人として生活していました。そこには、雅代さんと同じく、自分の人生を自分のものとして生きていない虚ろさがあります。

共通点:浮世離れしている女性

結論からいうと、みゆきさんは、茜ちゃんっぽさと、奈緒子さんっぽさと、雅代さんっぽさのある女性なんですかね。波瑠ちゃんファン以外の人にも伝わるようにいうと、明るい意味でも暗い意味でも浮世離れしている女性です。明るい意味では「高貴な」というニュアンスで、暗い意味では「厭世的な」というようなニュアンスです。現実や世界が嫌いな訳ではないんです。ただ、昔みたいな本来の自分に戻れない傷がある。だから「美春みゆき」という何者でもない人の人生を生きてきた。そんな時に悟と出会い、止まっていた時間を紡いでいく……みゆきさんにとって、本作はそういうお話だったのかなと思いました。
以上が、自分なりの美春みゆき考でした。言語化頑張ったから、「考」って付けさせてください……!

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