自分への評価が低すぎる と感じたら
自分の評価や価値は自分で決める
という意見があります。
でも、評価や価値はあくまでも他者があってのことだと思うのです。
例えば
対外発表用の資料を作成する場合、
どんなに見栄えが良くできていても、誤字・脱字がひどければ使い物になりません。
自分では
「資料作成のセンスが優れている」
と自負していて、作成した資料の評価が高いと思っていたとしても、
それを評価する側からしたら
「作文能力に問題がある」
という低評価になるかもしれません。
相手が求めているものに対してどれだけのものを出せるか、
相手の満足度が高ければ評価は上がり価値が認められます。
多少粗削りでも早く仕上げた方が良いのか、
多少時間がかかっても精緻な方が良いのか、
相手の求めるものが異なれば評価も異なります。
自分では
誰よりも素早く仕上げられるので評価が高い・価値が高い
と思っていたとしても、
相手からは
「雑な仕上がり」と判断され評価は低く、価値がないと思われるかもしれません。
どんなに頑張って早く仕上げても
相手が「速さ」ではなく「正確さ」を求めていたとすれば、その努力は全くの無駄になってしまいます。
逆に
正確で緻密なものにこだわって仕上げたとしても
「仕上がりが遅い」「情報量が多すぎる」などど判断されてしまうかもしれません。
「頑張った」「努力した」と思っているのは自分だけ。
相手からは
「使えないクズばかり提出する」「無能」と評価されているかもしれません。
自分の評価や価値というものは
自分で決めることではなく相手が決めることだと思います。
自分が思っている評価・価値と相手からの評価・価値が異なっている場合
落胆したり、不平・不満を募らせるのは間違っています。
自分の評価・価値を上げたければ
相手が何を求めているのかを知り、それに対して努力する必要があります。
また、あまりにも自分のめざすものと相手の求めるものに差がある場合
相手を変える(違う相手にする)という手もあります。
異なる相手、異なる環境であれば同じことをしても評価・価値は変わります。
頑張っているのに評価されない
思ったような評価が得られていない
そう感じているなら自分のいる環境を変えるのも一つの手段だと思います。