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【板前コラム】「『美味しい』という的を射抜け」——料理はお客様のためにある
はじめに|「美味しい」とは何か?
「美味しい」とは何か?
この問いに、明確な答えを出すのは難しいものです。
「高級食材を使った料理が美味しい」
「手間暇かけた料理が美味しい」
そんなふうに考える人もいるでしょう。
でも、おいらは思うのです。
料理の価値を決めるのは、作り手ではなく、お客様だと。
どれだけこだわっても、どれだけ技術を尽くしても、お客様が「美味しい」と感じなければ、それは的外れな料理。
料理人の役目は、お客様が求める「美味しい」という的を射抜くことなのです。
料理は弓道に似ている
「的を射抜く」とはどういうことか?
弓道では、ただ矢を放てばいいわけじゃない。
狙いを定め、力加減を調整し、風の流れまで読んで、ようやく的に当たる。
料理も同じです。
「ただ美味しい料理を作る」だけでは足りない。
目の前のお客様が何を求めているのかを考え、その的に向かって料理を放つ。
それが、おいらたち板前の仕事です。
外すことも、届かないこともある
どんなに技術を磨いても、どんなに経験を積んでも、すべての料理が「美味しい」と言ってもらえるわけじゃない。
お客様の好みは千差万別。
濃い味が好きな人もいれば、薄味を好む人もいる。
脂っこいものを求める人もいれば、さっぱりした料理を楽しみたい人もいる。
だから、時には的を外すこともあるし、そもそも矢が届かないこともある。
でも、だからこそ、技術を磨き、知識を増やし、お客様との対話を大事にすることが必要なのです。
人の持つ的の大きさはみんな違う
「大きな的」を持つ人
世の中には、出された料理は何でも「美味しい」と感じてくれる人がいます。
どんな味でも楽しめる、感受性の広いお客様です。
おいらの店にも、そういうお客様が来ます。
「おまかせで!」と注文し、どんな料理を出しても笑顔で食べてくれる。
こういう人の的は大きい。
少々のブレがあっても、矢は当たる。
でも、それに甘えていては、料理人として成長しません。
「何を出しても喜んでくれるから、まあいいか」と思ったら、それはただの慢心。
大きな的だからこそ、真ん中を狙い続ける姿勢が大事なのです。
「小さな的」を持つ人
一方で、「食通」と呼ばれる人たちもいます。
美食家とも言われる彼らは、味覚が研ぎ澄まされている。
料理の細部まで感じ取り、わずかな違いにも気づく。
こういう人の的は小さい。
少しでもブレたら、矢は外れる。
例えば、出汁の取り方ひとつにしても、いつもの昆布の種類が変わっただけで「今日の味、少し違うね」と言う。
煮魚の火入れがほんのわずか強かっただけで、「昨日の方がよかったな」と指摘する。
一見、やりづらいお客様にも思えますが、こういう人ほど料理人を成長させてくれる。
小さな的を射抜くために、細部までこだわるようになるからです。
的を射抜くための「三つの心得」
① お客様を知る
おいらが昔、親方に言われたことがあります。
「技術ばかり磨くな。お客様を見ろ」
料理人は、ともすると「自分の技」を見せつけたくなるものです。
難しい包丁さばき、高度な火入れ、華やかな盛り付け……。
でも、それは本当にお客様が求めているものなのか?
「美味しい」と感じるのは、食べる人。
その人の好みや体調、気分に寄り添うことこそが、的を射抜く第一歩なのです。
② 基本を極める
弓道でも、「基本ができていない者に、的は射抜けない」と言われる。
料理も同じ。
どんなに創作料理が流行ろうと、どんなに新しい技法が出てこようと、結局、基礎がしっかりしていなければ美味しい料理にはならない。
出汁の引き方、魚の扱い方、包丁の研ぎ方……。
基本を極めることが、どんな場面でも的を射抜ける力になるのです。
③ コミュニケーションを大事にする
料理人は無口な職人、そんなイメージを持つ人もいるかもしれません。
でも、おいらは違うと思うのです。
料理は、作り手と食べ手のコミュニケーションがあってこそ、完成するもの。
お客様の反応を見ながら、味の調整をすることもあれば、会話の中から好みを探ることもある。
「今日のおすすめは?」と聞かれたとき、
「この魚、脂がのってますよ!」と言うだけじゃなく、
「さっぱりした味が好みなら、塩焼きに。濃い味が好きなら煮付けにできますよ」と提案できるかどうか。
こうした小さなやりとりが、的を射抜くための大切なヒントになるのです。
まとめ|「美味しい」を届けるために
料理人の仕事は、ただ料理を作ることではなく、「お客様の求める美味しさ」を提供すること。
そのためには、
✔ お客様の好みを知ること
✔ 基本を極めること
✔ コミュニケーションを大切にすること
この三つが欠かせません。
そして、人によって持っている的の大きさは違う。
大きな的の人には慢心せず、真ん中を狙い続ける。
小さな的の人には、細部までこだわって射抜く。
おいらも、まだまだ修行の身。
今日も厨房で、お客様の「美味しい」という的を射抜くために、矢を放ち続けます。