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「羨ましい」という言葉

「羨ましい」
と言われると、なんとも言えない気難しい気持ちになる。
特に自慢した訳でも無く、自発的に行動し伴った結果に対して、人から「羨ましい」と言われるのは、とても筋違いに感じるからだと思う。
「羨ましい」ー。この言葉を口にすること自体が正直、稚拙な失礼さを感じて嫌悪する。
自分には与えられなかった環境、境遇、もの、人。それを正しく求めなかったことや努力して手に入れられなかったことへの後悔を、人に「羨ましい」と言うことで承認欲求を吐露しているように思える。
あなたと私、全く異なる人生で、何もかも関係無いでしょう、羨ましがる気持ちを伝えて何になる?そう言いたくなる。
幼い時にお友達と自分を比べては「いいなーいいなー」ばかり言っていた子と、何も変わらない。
そういう人と話をしていると、こちらも感情的なコメントは自然とオフになり、必要最低限の会話に留める。
そのように自分の気持ちばかり訴える人は、自己愛や自認に欠けた日々を送り、それはそれで大変なのだろう。
自分を認め励ますことが出来ない人は、相手のそれまでの努力を推し量ったり、単純に人の幸せを喜んだりすることが難しいのだと思う。
自分は発しない稚拙な言葉には、その人の独り言だと思う程度で、こちらもいちいち言葉に反応して喜怒哀楽忙しくする必要は無い。

言葉は、会話で誰かに向けて放たれた時、その人にどう届くかが肝心だ。
一方的な感情をぶつけるだけのコミュニケーションを優先しては、聞いてくれる相手と深くは分かり合えないだろう。

反対に、自分でも気付かないようなことに思わぬ優しい気遣いを見せてくれる人も世の中には沢山いる。
人生でコミュニケーションのトレーニングを沢山していないと、中々人にやさしく出来ない。人に優しいということは結構難しい。
人の優しさに出会うと、その分その人の人生の辛さもそこにあったんだろうと感じる。


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