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First Single「あなたへ」〜シカゴ・ブルズへ19回ラブコールの末、待っていた物語〜

渡米した熱血教師にピラミッドの続きがあった

先日、”ピラミッドの奇跡”を起こした彼の物語をご紹介しましたが、彼の物語には続きがあった。
そもそもエジプト、アメリカと教員生活とはかけ離れたような海外でのエピソードになるので、この機会に簡潔ですが彼の人生歴をご紹介したい。


<彼の人生歴>
・広島県のとある高校で教員を務める。
→ ある生徒との出逢いで教員を辞め、渡米する。

・渡米後はさまざまなビジネスを通して、Nike本社とご縁がありNikeのシューズを個人輸入、日本でのナイキブームを起こすきっかけを作る。

・Nikeがスポンサーをしていたシカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンが行う学生向けのバスケットボールスクールに参加し、日本で子どもたちに教えたいとの想いでシカゴ・ブルズへ参加の意思を伝えるため架電する。


かなり簡潔で略しているところが多く申し訳ありませんが、実際の人生歴についてはご本人がお話しする機会に伺って欲しいと思います。

本題に戻ります、
彼の人生歴のなかでも紹介した通りもともとは高校教員であった。
教員生活の中で出逢った生徒さんをきっかけに渡米し、今回のエピソードが生まれることとなった。


その生徒は『ディズニーランドに行きたい。』と言っていた

ここで彼が教員生活の際に出逢った生徒さんとのエピソードをご紹介したい。
生徒さんは筋ジストロフィーという症状で闘病されていた。
将来は『国際弁護士になって、困っている人を助けたい。』と人想いで魅力のある素敵な方だったと彼は紹介していた。
そんな生徒さんは『ディズニーランドに行きたい。』と言っていたらしく、当時教師であった彼も連れて行きたい想いが人一倍強かった。

しかし、お二人の願いは叶うことができず、彼は生徒さんの一生を見送ることになった。
そんな出来事があり子どもたちの夢を叶えたり力になりたいという想いがより一層強くなったとおっしゃっていた。

それから彼は難病の方をディズニーランドに連れて行ったり、事情でランドセルがもらえない子どもたちにランドセルを寄付したりする社会貢献活動家として活動。(ここでは簡潔になりますが、上記以外にも多くの社会問題の解決にご尽力されています。)

教員の道を後にするも子どもたちへの教育や指導に対する想いは冷めることなく、渡米後も子どもたちに素晴らしい教育を提供したいという想いに溢れていた。


マイケル・ジョーダンによるバスケットボールスクールとの出逢い

彼はもともとバスケットボールをやっていたため当時から熱狂を魅せる本場のバスケットボールは彼にとっても捨て難いものだった。

そんな最中、NBAで大活躍のマイケル・ジョーダンによるバスケットボールスクールを目にしたそう。彼も参加の意思を伝えるため受話器を手にした。
彼は現地で営業の仕事もしていたそうなのでマイケル・ジョーダンが所属していたシカゴ・ブルズへ架電することができたとのこと。

しかし、バスケットボールスクールは現地の学生向けで大人の参加は認められていなかったようで架電するも断りを受け、思うようには参加させてもらえなかった。


その後も架電すること、18回
彼は断られ続けた。

それでも「日本の子どもたちにアメリカのNBA最高峰で活躍しているマイケル・ジョーダンから学んだことを教えてあげたい。」
その想いは冷めず、彼は19回目の架電をすることになる。架電していくなかで電話の相手が同じ人だったことに気づいた彼は飽きられながらも思いを電話越しに伝え続けたとのこと。

その結果、見事に現地の学生に混じり、マイケル・ジョーダンによるバスケットボールスクールに参加できることになった。
彼の諦めない力、熱意に圧倒され、同聴していた方々も驚きを隠せなかったと同時に諦めない力の魅力を感じていた。

そんなエピソードを耳にして、僕自身も彼の全てのエピソードが胸に刺さり自分のことのように話せるほど何度も聴いた。
ご紹介したエピソード以外にも幅広い方面でご活躍されているため今回ご紹介したエピソードを話す方がいたら、ぜひご覧になってください。

そして、前回も最後に添付した動画に含まれている今回のエピソードは「あなたへ」を通じて表現させていただいたので、触れてみてください。


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