自分は何者にもなれていない
最近は自分のキャリアについて考える時間が多くなった。
パラレルキャリアや副業があたりまえの時代になってきた今、
自分には何があるのか。
ママだからこそ、ママとしての人生だけは、いやで。
子どもが成長したときに自分にも誇れる何かが欲しいし、
社会とつながっていたい。
子どもにもそんな自分の背中を見て、自由に、自分に誇れる人生を送ってほしいと思っている。
学生時代、留学していた大連で友人ともよくまだ見えていない未来のことを語っていたのを想い出す。
「ソレイユ」というカフェで。
当時の大連ではめずらしい喫茶店てきなこじんまりしたお店で軽食を楽しみながら定期的に留学後の話、キャリアの話。
未来の話をしたのが懐かしい。
当時はどうしても留学した証しを、残したくて。この経験を無駄にはしたくなくて。必死に何者かにならなければいけない、何者かになるための方法を必死に見つけていたように思う。
友人もそうだったのかな。
帰国後は就活の波に流されて、希望どおり”教育”業界の一番最初に内定をもらった企業にそのまま就職したのだけど。
それがどう活きているかはまた別の機会としても・・・
10年経過した今も、
私はまだ、”何者”にもなれていない。
そして今も、あの頃の感覚と同じで、何者かになる方法を考えてる。
ずっと。。
これから出産育児という大仕事があるのだけど。
社会とは一旦離れている期間に、どうしても考えてしまう。
何者かになりたい。何者かになれるスキルも経験も誇れるものがないから余計に考える。
自分には”何者”かになれる近道はあるのだろうか、
社会人としてやってきた10年間で近道を探せるヒントは得たのか。
まだ今の私にはわからない。
自分の棚卸からはじめてみよう。
ゆっくり、あせらず。