虫屋と魚屋のエクストリーム帰寮2024
出発前
エントリー
1回生4人でチームを組んで熊野寮祭の名物企画、エクストリーム帰寮に参加した。メンバーは蝶研のShim、N、JLS(私)と淡水研のいらむし(N以外はTwitter上でのニックネーム)。さしずめ、チーム名を付けるとしたら「チーム蝶と魚」といったところだろうか。野研の先輩方が昨年、レギュレーション100kmでエントリーして道中オサ堀などしつつ帰寮したという話を小耳に挟んでいたので、1回生の我々は少し甘えて70kmで、、という訳でエントリー時に最短移動距離は70kmに設定した。(後日、エクストリーム直前に先輩にこの話をしたら、100kmというのは空耳で実は先輩方は去年60kmで出ていたことが判明し少し怖くなった。)
持ち物
帰寮の道中でのんびり虫を採ったり美味い飯を食べたりしたいということで、荷物は少々多めに持った。まず、オサ堀に愛用しているバール。そして夕方になったら近くで良さげな場所を見つけて撒こうかと糖蜜を1.5L。毒瓶やタッパー、チャック付き袋等最低限必要なものをザックに詰める。次に、疲れてお腹が空いた時に鍋をするために冷蔵庫で持て余している野菜を色々とガス、コンロといった調理器具。鍋はShimが持ってきてくれるらしい。この他にも水2Lや軽食、箱ティッシュ(風邪気味なので)、モバイルバッテリーなど、必要そうなものを色々詰めていたらザックの重量は10kgを優に超えた。Shimは採卵用に剪定鋏を持ったらしい。
本編
2024/11/30
出発
我々の集合時間は遅めで土曜の午前1時30分。受付で各々食パンを1斤貰い車に乗る。チーム4人のうち自分以外の3人は日曜の朝から予定があるのだが無事それまでに帰ってこれるのだろうか。どの方面に飛ばされたかわからないよう車に乗っている間は目隠しをした。カーブや下から伝わってくる道の雰囲気からどこに向かっているか推理してみるが熊野寮より南方へ進んだことくらいしかわからない。十分に睡眠も取れぬまま、午前3時半過ぎ、車は目的地に到着し我々は降ろされた。
見知らぬ土地、知らない地名
車から降りてまず目にしたのは満天の星。周囲を見渡すも街灯など人工の光は全く目に入らず、ここから一番近い集落がどの方向にあるかもわからない。早速ヘッドライトを装着して付近の探索を始めた。すぐ近くに電柱があり、「カゼフキタニ」の地名が。はて、どこ、、?全くもって検討が付かない。探索の結果、着弾地点周辺には畑と小さな水路、中井鉄工建設の施設があることを確認できた。水路の流れている方向に従って下流部に行けば人里があるだろうという推測により歩き始める。北極星を見るに向かっている方角は北向きである(道がくねくねしているので東西はいったりきたり)。
現在地把握
水の流れる方向に沿って道をてくてく歩いていくと左側には湿地が広がっていた。初夏に来れば楽しそうな場所である。さらに進んでいくと左手には憎きメガソーラーが繁茂していた。こういう設備は周囲に事業者等の情報が記された看板が設置してある。それを見るにここは、奈良は宇陀市室生村という所らしい。
文明の燈
歩き始めてから15分ほどが経過したころ、早速住宅地に出た。少しばかり安心感を覚える。住宅地の横を流れる川を照らすとナマズが多く見られた。住宅地を抜けると2車線の立派な道に出た。奈良なので北に行けば京都があるということで、北東方向へ進んだ(右折)。
少し行くと看板があった。知らない地名しかない、、。我々は小倉に向かって歩いているということがわかった。
もう少し進むと郵便局があった。寒い。
寒い
ポツポツ立ってる街灯も一応チェックしながら歩く。何もいない。寒い。
一応北方向ではあるとはいえ、東北東に向かってひたすら進んでいることに不安を覚えるころ、強そうな道を見つけた(宇陀市が奈良県の東に位置することは知っていた)。左折して、北に向かって真っ直ぐ伸びているように見えるこの道に乗ることにした。
時間帯の問題もあるだろうが、先程まで歩いていた県道と違って定期的に車が通る。出発時に貰った反射板の有り難みを感じる。
非常に寒い。持参した温湿度計を見ると気温は3℃ほどであった。寒い寒い寒い。これほどまでに日の光を拝みたいと願ったのはいつ以来だろうか。
高速道路の下を潜ると丁字路に出た。直感を信じて右折。ひたすら歩く。
夜明け
太陽は見えないが明るくなってきた。
歩き疲れたので、少し休憩を取る。出発の金曜の夜はみんな寝ていないのだが、Nはその前日も徹夜していたらしく疲れと眠気が相当溜まっているらしい。極寒の中、歩道に座るや否やゴロンと仰向けになり気絶していた。
日は出ていたが、まだまだ低くほとんどの部分が日陰で非常に寒い。本当に寒かった、、。
休憩場所は大きい道との交差点であった。一度奈良市街に出ようという話になっていて、道中のバス停で見たマップから察するに、奈良市街に出るにはこのまま直進するよりも左折してこの道に沿って進んだ方がいい気がする。しかし、交差点に関する看板には知らない地名しか書かれていない。
ちょっとした話し合いを経て、ここで左折することはほぼほぼ確定していたのだが、ちょうど散歩中の地域住民が通りがかったので念のため聞いてみることにした(これはエクストリームのルール上どうなのだろうか)。奈良市街に出たい旨を伝えると、奈良市街への行き方を詳しく教えていただいた。まず、この交差点で左折して県道215号をひたすら進む。途中川があるがその川は越えてひたすら進む。ずっと行くと、国道に出るからそこで左折。国道に沿って進み、途中で右折してトンネルをくぐりさらに進むと県道に出るからそこで左折。その県道が奈良市街に続いているらしい。セコい真似をしてしまったが、自信を持って歩き出すことができた。
朝食
日が昇り、やや暖かくなってきたので朝食を摂る。橋の上の日向で道幅の広くなっているところに荷物を降ろし、足を休めながら持参した食料を貪る。カボチャを少し切って焼いてみたが、油がなかったのもあり中々上手く火が通らず、結局半生の状態で食べた。地面に座り込んで凍えながら食パンを食べてる我々を見かねたのか、ありがたいことに、地域の方から炊き込みご飯の差し入れをいただいた。今日口にしたものの中で断トツで一番美味しかった。
陽の当っていない谷間はまだまだ寒い。
出会い
何に由来するのだろうか、山間部の路上にビリヤードの球が落ちていた。2と太く印字されたその球はいらむしからボルタ君の名を授かった。下校中の小学生さながら、ボルタ君を蹴りながら歩く。チーム蝶と魚に新メンバー加入。ボルタ君は瞬く間にチームの人気者となった。
村人Aに聞いていた通り、国道に出た。着実に奈良市街に近づいている実感がする。
車通りと大きさからしてこの先にトンネルがあるであろう道へ右折。道はしばらく上り坂。我々は上り坂など屁でもないのだが、静止すればすぐに下へ転がってしまうボルタ君にとっては大変だった。側溝を活用しなんとか坂を登り切る。
坂を上りきると次は下り坂であった。ボルタ君おおはしゃぎ。側溝を転がって爆走する彼を抑えながら、歩調を合わせて一緒に進む。
別れ
出会ってほんの数十分であったが、ボルタ君と我々の絆は非常に強固なものとなっていた。一緒に熊野寮へ帰ったら、奈良の山で長く一人でいたであろう彼に京都を案内する予定だった。それゆえに、唐突に訪れた別れは本当に信じがたいものであった。
それは些細なミスだった。少し野放しにしている間に、側溝を爆速で転がり落ちるボルタ君は我々が追いつけないほどの速度に達していた。その先には深く水で満たされた水路の分岐が。ここに落ちてしまったボルタ君は浮かんではいたものの、フタの横からではどうすることもできなかった。
トンネル
坂を下りスギ林を進んでいくと、聞いていた通りトンネルがあった。
せっかく陽が出て暖かくなってきたのに、トンネル内は冷涼で常に風が吹いていたのも相まって中々に寒かった。
トンネルを抜けると見晴らしがよくいい風景が広がっていた。
獣
歩き続けていると、どこからともなく獣の声が断続的に聞こえて来た。罠に猪でもかかったのかな、とNが推測していたが少し進むと声の正体が猪で間違いなかったことがわかった。
路駐した軽トラの荷台から身を乗り出したおっちゃんが、側溝にはまって動けなくなった猪の頭を角材で淡々と一定のリズムで殴っていた。交通事故にあった猪を持ち帰って食おうとしているらしい。
せっかくの機会なので、休憩がてらこの辺りに腰を下ろし猪の撲殺を見学しながら水分補給をしたり軽食を取ったりした。猪が頭を振って叩きづらいのか途中ロープを巻き付けて頭を固定していた。猪の頭を殴り続けること約10分、とうとう猪は気絶した。慎重に猪の喉をナイフでめった刺しにしてとどめを刺したところまで見届けたのち、奈良市街へ向けて歩き出した。
山を越える
聞いた通り県道にぶつかったので左折して県道80号に乗る。この道をずっと進めば奈良市街のはず…!!
道は山の中に入る。ほぼほぼ天理教所有の山で不法投棄禁止の看板が至る所に生えていた。
午後になったがまだ奈良市街にすら着かない。ペースの遅さに若干の不安を感じるもただただ歩くしかない。左側が開け、ダム湖が現れた。そして正面には奈良市街が遠くに見える。
せっかくなので奈良にいる野研の友達に連絡を取って会うことにした。奈良公園で落ち合うことに。
道の横に生えているシンジュの木にシンジュキノカワガの幼虫が付いているのを発見。
周囲を探すとガードレールや樹皮にシンジュキノカワガの繭がたくさんついていた。空の繭も多かったが、中に蛹が入っているものもあり、数匹採集した。
奈良市街入国
ようやく市街地に出た。人と車が多い。
奈良公園に到着。流石に疲れているのでのんびり休憩。ここで友達を待つ。動かないと寒い、寒かった。
陽の当たるところで暖まる。鹿の糞など気にせずに地べたに寝転がるNとShimにドン引き。写真を撮るとNの着ている上着の反射のすごさがわかる(下の写真参照)。
野研の友人と合流。京都方面へ一緒に少し歩こうと思っていたが、見せたいとのことで彼の母校へ連れて行かれ、少し寄り道をすることになった。なぜ学校というものは岡の上に建ちがちなのだろうか、中々しんどかった。
国道24号
最寄りの近鉄の駅付近まで行って彼と別れた。京都に続くらしい国道24号が横を通っていて、そこを歩いて北上することにした。
正直もう疲れた。
せっかく糖蜜採集の道具を持って来ているので日没時刻までには糖蜜できる林にいたい。段々と日が落ち暗くなるも周囲によさげな環境が見当たらず焦る。
京都府入境
ようやく京都府に入った!!京都というだけで熊野寮を間近に感じる。チーム全員の士気が爆上がりし薄れてきた闘志が再燃した。
蛾と夕食
日没時刻をそろそろ迎え空も結構暗くなってきた。右にぽつぽつと小さな山が見えたので、国道を降りてそこへ向かう。
国道から見えて目星を付けていたポイントは山の横に池があってウスミミモンキリガを狙える気がした。池の周りにベンチがあったのでそこに重い荷物を降ろす。いらむし、Shimがそこで鍋の用意を始める傍ら、最低限必要なものを持って採集に出かける。周囲の探索の結果、池の周りはおろか山にすら入れなさそうだったのでここは断念し別の場所を探すことにした。ただ、ウスミミモンの可能性を信じて池の近くの道路沿いに少し糖蜜を撒いた。
日が落ち切ってすっかり暗くなり採集時間が刻一刻と減っていくのに焦りを感じ、帰寮のためではないからと言い訳をし罪悪感を覚えつつもgoogle mapで航空写真を見た。近くに良さげな公園があったのでそこへ向かった。
風がよく吹いていてコンディションは悪くない気がしたのだが、蛾の集まりは渋かった。
ミツボシキリガは今シーズン初採集だったので嬉しい収穫だった。鍋組には2時間程したら戻ると伝えていたのだが、採集を初めてまだ1時間程しか経っていない18時半ごろ、Shimから電話がかかってきて寒すぎて早く出発したいから今すぐ帰ってこいと呼び戻された。
鍋をしているところに戻る道中、池周りに少しだけ撒いた糖蜜の確認に向かった。蛾が来ていてもカブラヤガくらいだろうと思っていたのだが、なんとウスミミモンキリガが2匹も来ていた。もちろんカブラヤガもいた。いる気は何となくしてたが採れるとは思っていなかったので非常に嬉しかった。この採集のおかげで、さっきまで1時間以上アップダウンの激しい道をひたすら歩いて削られていた体力は一気に回復し未来が明るく見えた。
ほんだしだけのシンプルな味付けの鍋は、優しい味がして冷えた体を内側から温めてくれた。
再出発
10kg超えの荷物の中でも中々の重さを占めていた糖蜜と野菜を消費できたのは大きい。休息も食事も取ったところで、軽い足取りで熊野寮に向けて再出発。
途中から国道24号は木津川沿いに通っていた。左右どちらも歩道がなかったので左側(木津川側)の端を歩く。車に怯えつつも出発時に貰った反射板とNのビカビカの反射服を信じてひたすら歩く。
赤いアーチがかかった橋あたりで道は木津川沿いから離れ市街地の中を通るようになった。
体感的には京都はこのまま直進なのだが、標識では左折と出ている。迷うところだが、いらむしがこの辺りは若干の土地勘があるようで彼が直進だと言うので直進した。
Twitterで山添村あたりからスタートした先輩方が観月橋でリタイアしたと知った。屈強な先輩方が、ひ弱な我々よりも短距離でエントリーしたにもかかわらずゴール出来なかったと知り戦慄が走る。もしかしたら、熊野寮は思いのほか遠いのかもしれない、、。我々チーム蝶と魚は絶対にゴールするぞと決意を固める。足は大分しんどい状態になってきているが、まずはチェックポイントとして観月橋を目指す。
2024/12/1
日付が変わり日曜になった。とうとう12月が来てしまった。
道中適宜5分以内の小休憩を取りつつも、足を止めては再出発時の苦痛が生まれるのでできるだけ足を止めず歩き続ける。
観月橋
痛む足を無心で動かし根性で歩き続け、ようやく観月橋に到着。ここで長めの休憩を取る。みんな満身創痍だが、Shimは特にかなり来ているようで、とりわけ左足がヤバいらしい。彼は今日の昼間は人と採卵に行く大事な約束があり、それを考慮して残念ながらここでリタイアする英断を下した。極寒の中、始発を待つというShimが少し心配ではあるが、ここで彼と別れた。
余談だが、Shimは別れた後中書島まで歩きそこで始発に乗って帰ったらしい。昼間の採卵は林道から外れ山に入る場面も多くさらに足をいじめることになったようだが、採卵は大当たりでキリシマの卵をいい数採れたらしい。
苦行
全員でゴールするという目標は達成できず悔しいが、残った3人だけでも絶対に歩いて熊野寮まで辿り着きたい。観月橋で30分以上休憩したにも拘わらず足は絶えず痛み、2徹目に突入していたというのもあり疲労と寝不足が押し寄せてきて頭が全く回らない。何をしても苦痛でしかない中、国道24号をひたすら歩く。
鴨川まで辿り着いた。ゴールは目前。
道に沿って歩き続けた結果、河原町通りに繋がったようだ。ようやく現在地を感覚ではっきり認識出来て感動する。寝不足と疲労が限界付近まで来ていて気を抜くと今にも気絶しそうだ。
河原町五条で右折して東へ進み、五条大橋で鴨川を再度渡って左折。川端通りを北上。足が非常に棒。
ゴール!!!!
奈良の山奥に降ろされてから苦節25時間半、熊野寮に凱旋。長かった、、。惜しくもここまで来れなかったShimとボルタ君を思い少し残念な気持ちになるも、眠すぎて頭が回らず特に何も深く考えられない。帰寮達成について達成感は特に感じなかった。
力を振り絞り、いらむしと百万遍の松屋で腹を満たした後ようやく帰宅。松屋では疲労と寝不足のあまり座った瞬間気絶しそうになった。
帰ってからはたくさん寝た。
反省
4人中3人が日曜に予定を抱えていたため不眠で歩き続けていたが、寝袋を持参して途中暖かくして野宿していればここまで苦しまず楽にゴールできていたと思う。
ちなみに、日曜の昼に予定を抱えていたいらむしとNは予定をブッチして一日中家で寝ていたらしい。これでもし昼間も活動していたら本物の化け物だと思う。
来年もやるかもしれないしやらないかもしれない。