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記憶として。

専門学校時代にとある田舎に2年間住んでいた。
都会から移住して初めて体験した田舎での暮らし
人はみんな優しく温かく、全体的にほわほわのんびりな雰囲気でとても暮らしやすかった

先日そんな田舎町でよく通っていたおばさんが1人でしている喫茶店に行きいつもの様にカウンター席に座りコーヒーを頼んだ
おばさんは僕の顔をジッと見る、僕はその瞬間おばさんが僕の顔は覚えているが名前が出てこなかった事を悟った。
当時おばさんは僕にとても良くしてくれて地域の祭りの日には浴衣を貸してくれたり、専門学校卒業の時には涙して送ってくれた。
そんなおばさんが僕のことを忘れかけている現実にその時はショックを受けた。

それから時が経ってとあるラジオでたまたまアルツハイマーがいかに厄介であるのかを何となく聴いていた。
おばさんはアルツハイマーではないと思うけど、どうしたって忘れやすくなる歳でもあった。

アルツハイマーを持つ人の家族がいかにその人に対して大変な思いをしているか
その中でも現実を受け止めてその人との時間を尊ぶ家族の話を聴いてとても感動したのを覚えている。

喫茶店でおばさんと過ごしていた時間はとても大切な時間だった。
おばさんは少しずつ僕のことを忘れていくかもしれない。
だけど自分のなかにおばさんとの時間がちゃんと記憶として残っているのなら、その時間がどれだけ尊くて大切だったのかを強く実感した。

誰かが誰かを忘れてもどちらかがその誰かを覚えているまではしっかり記憶として存在しているんだから、それはそれでいいんじゃないかとなんとなく思った。

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