育成の手間の○○が消えたと思う話【ポケモン】
ポケモンの対戦・育成の話。
自己紹介
本編は概ね全作プレイ。対戦・育成(3値を気にする程度)はHGSS〜ORAS、飛んで剣盾。環境気にしたりしないライト層。この記事ではBWらへんが例としてよく出されます。
本題
SVの対戦・育成をやっていないんだが、理由の一つに「育成に魅力を感じない」というのがあると自覚している。
やってないから詳しいことはわからないんだが、連射コンでなんらかの放置をしてお金を稼ぎ、ふしぎなアメやタウリンなどを買い込み、必要に応じてひかえめミントやとくせいカプセルを投与して育成が完了するらしい。
ミントやとくせいカプセルパッチがあるため、とくせいやせいかくは最悪厳選を妥協してもいいらしい。
わたしの感想としてまずひとつに、「それ、面白いんか?」がある。
まあやってる人がどうかはべつになんでもいいし面白いと思ってても否定しないけど、わたしはそれに魅力を感じない。だからあまり今作の対戦やる気になってないというのが事実としてある。
手間がかかることの意味
「それ、面白いんか?」というのはつまり、「その手間に価値はあるのか?」ということ。面白いと思うならその人にとって価値があることだと思うので、それはそれでいいと思います。
育成に論点を絞って言うなら、わたしがいちばん対戦育成をやったのはBW、次いでXY(厳密にはORAS)のとき。
「夢特性(隠れ特性)の追加」
「ひかるおまもりの追加」
「あかいいとによる個体値の遺伝」
「ボール遺伝」
など新規要素の追加や利便性の向上があった。
マップ構造により、いわゆる「廃人ロード」が走りやすくなったりもした。
ORASくらいになると孵化の理想個体を新規で数匹用意するのは1日で十分になって、パーティや戦略を比較的手軽に変えられるようになった。
この頃はかかる手間と、そのかける手間の価値のバランスが取れていたように思う。
手間の価値とはすなわち、「苦労して用意したポケモンで戦うことの価値」ということ。
この話べつにどこにも悪いとこないと思ってるけど、それはそれとしてカットした記者さんの気持ちはわかる。
ただ実際ここには、「対戦で結果を出すための苦労」と「用意にかかる苦労」の認識のズレが記者にある。
めちゃくちゃ極端な例として、3ボックスぶん孵化してようやく手に入れた理想個体と、外部ツールで改造ポチポチして30秒で用意した理想個体との間に、対戦における性能差はない。
『改造産はきあいだま当たらない』とか『野生だけで努力値稼いだポケモンは大事なところでハイドロポンプ外さない』みたいな話、話としてわたしは好きだが、実際問題データ上の影響はない。
大会で結果を残すために必要なのは対戦そのものの経験と知識であって、育成にかける苦労ではない。
逆にどうして用意の苦労を記者が欲したかというと、話として面白いからである。プロゲーマーみたいなクラスの大会上位層ではなく、わたしみたいな大部分のライト層には、「過去作で3ボックス孵化してようやく出会った理想個体」みたいな情に訴えかけるものが刺さったりする。
わたしはBWやXYORASの頃、「孵化場所」にこだわったことがある。ふつうに効率重視で孵化していると孵化場所は「スカイアローブリッジでかえった」みたいな廃人ロードで統一されてしまうが、孵化する直前に移動して、ヒトモシなら「タワーオブヘブンでかえった」みたいに野生での生息地、すなわち生まれ故郷をステータス画面に刻む。よく言う「芸術点」というやつのひとつ。
こんな余計な手間をかけたシャンデラはオーバーヒートを当ててくれる……みたいなことはないが、余計な手間をかけている分そのシャンデラには思い入れが湧く。そういうポケモンを使って対戦すること自体に、特有の価値があると感じる。
失われたのは何か
別に今だってそういった余計な手間をかけることは可能だと思う。色違いを捕まえるとかがメジャーな例。
失われてしまったのは余計な手間でなく、必要不可欠な手間である。
先の記者が欲しかったものになぞらえて言うなら、「まずタウリンを10個使ったあと、ポケルスに感染させ、パワーリストを持たせてヨーテリーを15匹、その後……」みたいなやつ。
この必要不可欠な手間の中に存在する価値として、プレイヤーごとの多様性がある。つまり、同じ育成結果を得るための手段や工夫の違いである。
金策に余力がある人なら上のようにタウリンなどのアイテムを多用するが、「薬漬け」みたいな話(これも思い入れの類)があって努力値すべてを野生ポケモンで賄う人もいる。
努力値調整をすると、例えば144は12の倍数だから、ヨーテリーの代わりにハーデリアを12回倒して12x12で振るみたいな工夫もある。
なんなら、廃人ロードをバトルサブウェイにするかスカイアローブリッジにするか3番道路にするかとか、ほのおのからだ要員をマグカルゴにするかウルガモスにするかファイアローにするかみたいなところから多様性や工夫であるし、そこに価値が存在する。
わたしは6世代の頃はヒノヤコマを使っていた。可愛いので。ちなみにその名残で剣盾でもヒノヤコマ。
何が言いたいかもうわかると思うが、育成について最大効率の方法が画一化され共有されたことで、プレイヤー毎の工夫も多様性もない「それ面白いんか?」な薬漬けが当たり前になってしまった。
こうなってしまうと他の方法はあまりにも非効率すぎて、「下に見られる」。「どうしてそんな非効率な方法やってるの?代わりに育成しようか?」そうじゃないんだ。
わたしはその画一的で効率的な方法に魅力を感じないし、かといってわざわざ他の手段を取ろうとは思わず、当然対戦もやってない。
まあ、やってないからどんなんか知らないけど。
どうせならゼロにしてしまえばいいのに。
ここでわたしが思うのは、「微妙に育成の手間が残されている」ということ。
ここまで効率化した作業にしてしまうならそこに価値はもはや残されていない(とわたしは思う)から、いっそその手間まで無くしてしまえばいいではないか。
これは暴論として書くが、そんなら改造ポチポチ30秒で用意すればいいじゃないか。暴論でなくするなら、そういう機能を実装すればいいと思う。それなら対戦やってたかもしれない。
バトルチームの機能でパーティ単位では育成をスキップして対戦を遊ぶことができるが、個別にはない。個体単位でこういう機能があってもいいのではないかと思う。
BWとかXYくらいの頃にWiFiを悪用した改造が出回っていた。それこそ改造ポチポチして任意のポケモンを用意できるものである。
今だから言うが、わたし個人は「自己の対戦用のみで」「再現可能な個体を」改造で用意することは黙認の意見だった。つまり、手間を削ることのみに使って、結果得られる個体に不正な部分はない(ここは言い方が難しいが伝わってくれ。)なら誰にも迷惑かけないし、まあ別にいいんじゃない、と。乱数調整もやってること一緒じゃん、と。
※これは話として個人的に黙認していただけで、別に自分や知り合いがやっていたと書いているわけではないし、公式がダメですというならそれはダメです。
ただ今のわたしの気持ちはそれをする人のものに近い。育成じゃなくて対戦がやりたいから、意味のない手間はなくしてくれないか。
上でこう書いたが、つまりSVではそのバランスが取れていないと感じる。自分がやっていた体感では、5世代6世代は手間のコストに対応するパフォーマンス(→価値)が存在していたが、いまはただただコストがかかるだけでそこにパフォーマンスが存在していない。
そのくせ、コスト=手間自体はゼロでなく少し残されている。
ファミレスでメニューはタブレット端末になったのに、注文は結局店員を呼ばないといけないみたいな、どうしてそこだけ?という。
対戦ゲームとしての競技性が発達したために、育成ゲームとしての名目だけ競技性の足元にひっついて、変な足枷になっているのが今の状態。
ここまでするならインターネット対戦用個体は30秒で用意できるようにして、色違いが欲しいとかこだわりがある人だけ手間がかかるようにすればいいのに。
育成の手間の価値が消えたと思った話でした。