見出し画像

cgSFが"シンデレラのライブ"としていかに素晴らしかったか【感想と考察】 #imascgSF

シンデレラガールズには、数多の属性がある。これは「キュート」「クール」「パッション」というステータス上のものだけではない。「大人」「年少」「和風」などといった大きな括りから、「吸血鬼」「サンタ」「備前焼」「キノコ」といった190分の1の小さな属性まである。これは「個性」がひとつの主題となっているシンデレラガールズの強みであり、それを生かしたのが今回のライブだった

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS STARLIGHT FANTASY
2024/9/14-15
K-ARENA YOKOHAMA

いや備前焼、ピンポイントすぎるだろ。
【自己紹介】
担当:輿水幸子・鷹富士茄子
デレマス歴:アニメ(デレアニ)から
モバマス歴:依田芳乃についた声を聴くために始めた;担当イベ最高256位
デレステ歴:初日から;担当イベ最高35位
ライブ参加歴:3rd~4th LV、5thSSA以降、東京周辺・大阪・名古屋はだいたい現地
今回ライブでの推し:肇、芳乃、紗枝、小春、聖(+イヴ、奈緒)

注意:約7,000字あります。


概要:シンデレラは個性のコンテンツ

シンデレラガールズは個性のコンテンツである。その個性は「属性」の組み合わせでできている。高垣楓であれば「モデル」「駄洒落」、鷹富士茄子であれば「幸運」「かくし芸」といったところを「アイドル」という共通属性に絡めてシンデレラガールズのアイドルの個性ができている。

ジョブという『属性』

今回のライブ「STARLIGHT FANTASY」(以下「cgSF」)では、開催告知放送の段階で
・ファンタジーがテーマ
・出演アイドルに(ファンタジー世界の)ジョブ(役職)が当てられている
ことが事前に明かされていた。
そのジョブは、ライブ開演直後、オープニング内で初めて明かされた。
※「役職」で通して書いたあとに公式がジョブ表記だったのに気づいたので直ってない箇所があるかもしれません

ジョブとはすなわち属性である。ゲーム内では「アイドルでの仕事」として時折新たな属性が付与され、イベントのストーリーやカードテキストなどに反映されてきたが、リアルライブでは(たぶん)初の試みであった。

190の個性をもつシンデレラのアイドルに別の属性が付与されると、属性と属性の乗算によりさらにとがった個性が生まれる。

例)[ヴォヤージュ・ブレイバー]白菊ほたる
「不運」×「騎士」
『「私の剣、よけなくていいです。どうせ当たりませんから」…はぁ…』
『「一緒にいれば、攻撃は全て私に来ますよ、[プロデューサー]さん」』等

ずかん菊ほたる -白菊ほたる非公式wiki-

この属性の掛け算を生かしたのがモバマスのLIVEツアーカーニバルイベントである。モバマスやってない人に数行で説明すると、ゲーム内イベントのストーリーで劇中劇が展開され、一部の舞台裏シーンを除きストーリーは劇中劇の役で進行していく。劇中の登場人物としてメイン以外にも様々なアイドルが登場し、わずかながらセリフで世界観を補強する。傑作と名高い「蒸機公演 クロックワークメモリー」もこの種類のイベントである。
cgSFが○○公演だった、これモバマスの人が作ったでしょ?、といった感想には概ね同感である。

ライブにおける属性の掛け算

アイドルに別の属性を掛け合わせるというのが前段の話であったが、ここではさらにもう一段階ある。ライブは歌の披露がメインであり、そこには数々の楽曲がある。お察しの通り、曲にも属性がある。"クリスマス曲"とか、そういったやつだ。つまりcgSFは、

「アイドル」×「ジョブ」×「楽曲」

という3つの属性の乗算によってこのライブだけの特別が生み出されていたのである。

例えば
「イヴ・サンタクロース」×「クリスマス曲(ソロ曲及びWINTER and WINDOW)」までは順当でストレートな組み合わせだが、そこに「勇者」という属性が重なれば、例えば「束の間の休息、出会った仲間との親睦」といった解釈をすることもできる。

持ち歌に新解釈

違った例を挙げる。
「島村卯月・高森藍子・西園寺琴歌」と「レッド・ソール」の間には直感的には隔たりがあるように感じられ、もし普段のライブでやれば「意外なメンバーによるサプライズ感のあるセットリスト」という印象が強く残るだろう。
しかしこの2要素の間に「踊り子」というジョブが挟まることで、3人のアイドルとレッド・ソールという楽曲が何の違和感もなく繋がっていたわけである。また、違和感の少なさは没入感を維持し、ライブ全体としてのストーリー感をより強固にする。

イメージの遠い楽曲だが…
踊り子ならそりゃあ朝飯前よ

結論みたいなことを先に述べてしまうと、これこそがcgSFの成功の大きな要因のひとつだとわたしは感じている。


舞台としての没入感

cgSFは公演中の没入感が凄かった。普段のライブでは曲ごとに歌唱者や雰囲気がガラッと変わることもあるが、cgSFは曲=場面が変わっても同じ世界の話であり、観る側の集中力が途切れることがなかった。「クレイジークレイジー」など物語内でどういう場面としての選曲なのか解釈が難しいものもあったが、多くはジョブとユニット曲が紐づいており、アニメにおけるいわゆる「主役回」が順番にまわっていくような様子であった。

灰に覆われていない場所を勇者が巡り歩き、出会ったひとたちと仲間になっていく。それらがジョブごとの楽曲であり、後半の「つぼみ」、そして魔王との最終決戦につながっていく。レッド・ソールの例のように、アイドルとジョブ、ジョブと楽曲といった属性が掛け合わさることで、セットリストのすべてがスターライトファンタジーの世界の中のお話として成立していた。

いつも通りのライブでありながら、すべての楽曲が「勇者が魔王を倒し、平和な世界を取り戻す物語」のいち場面であり、どんな曲も一貫して楽しむことができたのがひとつのポイントである。



シンデレラガールズの強み

シャニマスは高級料亭、シンデレラは…?

一旦cgSFの話から離れ、ストーリー性の強いアイマスの対比としてシャイニーカラーズ(シャニマス)の話を出す。
ゲーム2種類も多少遊び、ライブにも何度か行ったがあるが、あちらはかなり消費に力を入れたコンテンツであると感じている。
シャニマスは、ゲーム内のシナリオや演出が入念に練られ、伏線が敷かれ、まるで長期スパンの漫画やアニメを追っているような体験をくれるコンテンツである。近年のライブも同様の作り込みがされている回が多かった。
シャニマスは、製作側が提供した料理を、素材や味付けを気にしながらじっくりと味わうコンテンツ。さながら高級料亭である。Café Takayamaってそういうコト!?


では。
この流れでシンデレラは何かというと、バイキングやビュッフェである。しかもただのバイキングとかではない。「カレーライスにトンカツとコロッケとウインナーとベーコン乗せてやった!!」みたいなのはやさしいほうで、

「すごい!!!プリンに醤油かけたらウニの味する!!!!!!」
「マジで!?ほんとだ!!!!!」

みたいなことが日常茶飯事なのがシンデレラガールズ世界なのである。男子高校生か?
最初から同じテーブルにプリンと醤油が陳列されていることもあるし、なんならプリンと醤油と一緒にウニまで同じ皿で運ばれてくることさえある。

食べる方も食べる方で、「フライパンも名前がパンだし食えるやろ!」って食ってるひとたちもいる。そうして制御盤が祀られたり、ゴミ拾いが始まったりする。


創作料理のシンデレラ。

脱線した。例え考えてたら面白くなっちゃって。
さておき、この「プリン」「醤油」が「アイドル」や「楽曲」、cgSFにおける「ジョブ」などといった属性であることは言うまでもなくご理解されたことと思う。いやフライパンは食べ物じゃないし関広見ICはアイドルじゃないよ…?

…とまあそんな関係ないものも含めて、プロデューサー・ファンはもちろん公式も、この190のアイドルと世界の万物を掛け合わせて独自の料理を生み出しておいしいおいしい言ってるのがビュッフェ・シンデレラガールズ。
(ほぼ)完全消費型のシャニマスに対して、創作的な消費をするのがシンデレラ。

ライブにおいては、過去のライブでも「楽曲」×「歌唱メンバー」の組み合わせで新しい価値や感動を生み出すことをお家芸としてやってきたのがシンデレラである。今回であれば、DAY1-M26. New bright starsや、DAY2-M18. Great Journeyが特に美味しい醤油プリンだった。思い出しただけで味する。
余談だが(なんでライブの話が余談なんだよ)、ライブのテーマ性を保ちつつもお家芸、十八番の伝統料理を出してくれるところは流石といったところ。お前んちもう10年近く醤油プリン屋さんやってんだすげえな。


広大な解釈の余白

おそらくシャニマスには"正解"があるが、シンデレラには"正解"がない。いやこの言い方は的確ではなくて、シンデレラには「"不正解"がない」。
"不正解"という語もセンシティブな議論を呼んでしまうので避けると、シャニマスは"正解"と"それ以外"の線引きが比較的くっきりしている印象がある。『ここは公式です!』と書かれた看板の外に数歩あるくともう「二次創作の沼」に足を取られているかもしれない。(ただし、公式の看板の内側は文字通り爆心地である)

対するシンデレラは、"正解以外"のものも「なんとなく正解っぽい」範囲がとても広く存在する。「アニメで姿を見せてはいないけど、うちの子もあのお城みたいな事務所に通ってるんですよ」と言われて「いや違う」と首を振るプロデューサーはおそらくシンデレラにはいない。

高垣楓の胸を盛るのが正解っぽいの範囲にあるかどうかは言及を控えることにする


あとで触れるが、「cgSFはアイドルにジョブが振り分けられている」と判明した段階で既に、出演アイドル以外についても「この子はきっとこんなジョブで」という話が盛り上がっていた。


そしてもちろん「でもその子ライブ出ないよね」「その子ボイスないよね」なんて無粋なことを言う人は一人もいなかった。ライブに出ていない点で「正解ではない」が、ファンタジー世界で輿水幸子が天使をやっていても、白菊ほたるが悪魔をやっていても別に不正解ではないし、なんなら「なんとなく正解っぽい」。

シンデレラガールズ10周年記念アニメーションでも、シンデレラガールズはいわゆるマルチバース的な世界であることの示唆がされ、各々のプロデューサー・ファンがそれぞれの世界、それぞれの解釈でアイドルと時間を共にすることが暗に公式で肯定されたと喜ぶ声が多かった。

アイドルはよく星に例えられるが、マルチバースとはマルチ・ユニバースであり多元宇宙と訳される。同じ星がこの宇宙では赤く光り別の宇宙では青く光るし、星座を成す軌跡の結び方も観る人の宇宙によって異なるが、そのすべてがシンデレラガールズとして肯定される。

あったわ。そういう曲。


cgSFがいかにシンデレラガールズだったか

ライブの中身の話に戻る。
cgSFでわたしが強く感じたのが、そんな「自由な解釈の余白が広く取られている」ことである。
cgSFはライブ一本を通した物語があったが、アイドルによる朗読劇は一切なかった。ちひろナレーションによる「あらすじ」程度の物語と、アイドル・ジョブ・楽曲(+セットリスト、演出)だけが提供され、魔王を倒す物語の細部は語られなかった。

"想定解"の周囲にある広い余白

この物語の解釈に"正解"とまでは言わずとも、おそらくライブ制作陣による"想定解"はあるだろう。しかし言葉での表現は最小限(ナレーションとごく一部の曲中にあったセリフのみ)にして、ある程度自由な解釈でこの物語を楽しんでもらう作りなのだろうとわたしは捉えた。

大事な余談を挟むが、地の文で物語の細部が語られることがないなか、唯一言葉で(歌い方・セリフで)『場面』を完璧に表現していた声優陣の力を改めて感じた。

声優だけでなく、BG映像、照明演出、SE、はたまた選曲・曲順など、むしろ言葉以外の手段ではかなり手を尽くしてこの物語の"想定解"にあたるものが表現されていた。

制作側に「つぼみって"決戦前夜"みたいじゃね?」と意見した、変だけど天才の人がいる

https://x.com/Einpolster/status/1834918355637297548

しかしただひとつ、言葉による"正解"のみ示さないことで、"想定解"の幅が最小限に留められ、その余白に観た人の解釈による「なんとなく正解っぽい」スターライトファンタジーが無数に生み出された。

ライブのハッシュタグや、タイムラインに流れてきた感想を追っていると、みな当たり前に、ライブに出ていない自分の担当アイドルのジョブを考え楽しんでいる。言うまでもなくボイスの有る無しは関係ない。ライブ内で全く存在が示唆されていないアイドルを勝手に呼んできて、「このライブの感想」としてわいわい楽しんでいる。ライブに出演していないので正解ではないかもしれないが、でもなんとなく正解っぽい。
もしかしたらこれって変な話なのかもしれない。でもそれが変じゃないのがシンデレラガールズなのだろう。

シャニマスが一連の物語を縦方向に深くしていくのが得意なのに対して、シンデレラは物語の世界を横方向に広くしていくのが得意。またシャニマスは100がひとつあれば0.01から99.99まで緻密に作り上げるコンテンツで、シンデレラは100ひとつから並行した190個の100を生み出すコンテンツ。
ライブに出演したアイドルは延べ28名だが、残りのアイドル数を数えただけであと5面この物語を広げられる。というか、みんなもうやってる。


誰もがシンデレラ

今回の公演やっぱりどこかモバの魂を感じたんだよなぁ 完全に「LIVEツアーカーニバル STARLIGHT FANTASY」だったでしょ ソルジャーとか明らかにサイドストーリー枠だし

https://x.com/false_holly4696/status/1835581169628549460

LIVEツアーカーニバルでは主役たち以外のアイドルも劇中に登場した。cgSFは登場すらしなくても、あの世界に確かに190人のアイドルがみんな居た。それは他でもない、我々プロデューサー・ファンの「なんとなく正解っぽい」解釈によって存在している。

cgSFにはわたしの担当アイドルは出演していないが、開催告知の時から絶対に行くと決めかなり楽しみにしていた。結果、この文字量を見てわかる通りの満足度。

担当が実際に出演して関わって欲しかった気持ちもゼロではないが、現地でライブに参加してわかった。見えなかっただけであの世界にも鷹富士茄子はいる。踊り子か天使か、はたまた悪魔なのかまで定かではないが、わたし自身がモブ兵士となりUOを剣にして拳を突き上げ共に戦ったあのとき、たぶん勇者にジョブチェンジした鷹富士茄子もそこにいた。

折ると強くなれる剣

そう思えたのはやはり、属性の掛け合わせでもとより無限の可能性を秘めたシンデレラガールズが、周年ライブという目玉コンテンツで巨大な解釈キャンバスを展開してくれたおかげである。


デレステ9周年を記念するライブに担当の出演がない…と思ったら、担当もちゃんと居たし、なんならわたしはあの世界に190人全員見えた。担当アイドルが出演していなかったり、ボイスがついていなかったり、「置いて行かれてる」と思うのは勝手だが、どうせなら居ることにしたほうがいいじゃないか。誰も怒らないんだし。

わたしはそうやって勝手にアイドルを世界に存在させていくシンデレラの空間が心地よい。それぞれがそれぞれのアイドルを大事にしていてそれをみんな尊重している世界が心地よい。今回も座席について会ったばかりの初対面の人に「ライラさんソロ曲おめでとう」を言えた。愛するシンデレラガールズ世界。シャニマスの緻密な深い世界を見てからもなお「やっぱ俺はこっちやな」って思えたのはこういうところ。

ライブの最後に必ず唱えられる魔法の言葉。

誰もがシンデレラ


そして10周年へ

最後にNEXT LIVEの文字。
まさかのデレステ10周年記念ライブ開催。しかもツアー。ツアー!?
やっぱりLIVEツアーカーニバルじゃないか。

こんだけシンデレラガールズしてた最高のライブが終わり、ロスに陥るかと思いきや向こう1年デレステが続く確約が得られた。大変なことですよこれは。

色んなところでいろいろ思うところはあれど、ひとまず最高のライブを経て、シンデレラガールズに出会えてよかった、こんなに楽しい、これからも楽しみ、そんな気持ちでいっぱい。


おわりに

本当はライブ感想っぽく1曲1曲書こうと思ったがこの文字数、このザマである。さすがに良いライブだったし、「ジョブ」「楽曲」「アイドル」の属性の使い方が非常に面白かったのでその視点も含めて別記事で書きます。

この記事が良いと思ったら、「いいね」と「フォロー」は要らないので、ライブのアーカイブを買って公式のアンケートに良かったところを書いてきてください。

アーカイブとアンケートはこちらから。



長文お付き合い頂きありがとうございました。


追記・こちらもどうぞ:

個人的アンケートの要望書き方アドバイスもちょっとだけあります。期間中にぜひ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?