トランク型の店内で静かに波打つクラフトビールの未来を再考する──箱舟(水道橋)
「西の人間は東へわざわざ行かない」。これは東京に住む人間としてほとんど真理と言っていいと思う。もちろん逆も然りだ。
私は東京の中でも郊外にあたる西多摩エリア、福生市にルーツを持っていて、都会暮らしを始めて以降も約8年間の生活を全て西に捧げている。最初は中野駅徒歩5分の三階建て一軒家で女子10人前後のシェアハウス。共同生活がストレスになって難聴を患ってからは吉祥寺の成蹊大学付近で念願の一人暮らし(駅から遠く、格安ながらリノベ物件でGがよく出た)、吉祥寺に4年間ほど住み飽きてからは逃げるように現住居の渋谷区幡ヶ谷へ。今の家に越してからはもう3年ほどの月日が経過していて、家賃こそ高いが自宅周辺の飲食店の数やアクセス面において不満は皆無、むしろ良すぎるがゆえに高い家賃を払っていても離れられないといった側面が大きい。地元にいた頃は新宿も渋谷も少なく見積もって一時間はかかったのだ。それが今や新宿は二駅隣、渋谷においては直行バスが出ている。西から西へ移動してなおも西の住み心地の良さを享受している側の人間である。
過日、秋葉原に野暮用があって、久々に「そっち側」へ出向いた。当初約束していた時刻は16時だったが、何の拍子があってか当日になって16時を17時と記憶がすり替わってしまい、15時半過ぎに「もう電車乗った?」と連絡があって大急ぎで家を飛び出した。それでも京王線からJRの改札へ向かうまでの時間を多少巻いてしまえば、10分遅れ程度で着くのだからやはり今の最寄りは偉大だと思う(私が元々歩くのが速い、というのもある)。
秋葉原電気街口で落ち合って、陳謝し、野暮用を済ませて一時間ほどで解散となった。時刻は18時、後ろの予定はもうない。せっかく来たのだからどこかで一杯引っかけて帰るか、という遠出あるあるの思考回路になり、すぐさまGoogleマップを開く。私はいつ行けるかわからないがしかしその「いつか」のために関東近郊のあらゆる店にピンを刺し、カテゴリごとに分けリストインしている。
リストを眺めながら、秋葉原から二駅先の水道橋に最近新しくビアバーがオープンしたことを思い出した。もう冬の入口でかなり寒いので、できれば駅近だと嬉しい、と思ってアクセスを見たら駅から徒歩約4分と書いてあり、総武線に乗って水道橋へ。電車の窓から巨大な観覧車を見ることはあっても、この駅に関しては初めて降りたかもしれない。
仕事終わりのビジネスマンと逆行して信号を渡り歩き、東京ドームシティホール方面へ向かう。カップルや友人、若年層が多い印象だった。ホール併設のセブンイレブンの角を曲がると、比較的開かれた場所に出る。多分、イベント時にはここで皆入場列を作って待つんだろう。この日は何も催しがなかったようで、静けさの中を歩きつつ店を目指した。
トランク型のモダンな内装に、小上がりをのぼった先、入口扉の下で「箱舟」と書かれた黒板がライトアップされている。店に入ると横一列型のフロアに白い照明が焚かれて、落ち着きのありながら明るい雰囲気。独立したカウンター席というのはないようで、先客の女性とシェアするような形でテーブル席に座った。
タップ数は9タップで、数年前に私自身も取材で伺わせていただいたカンパイ!ブルーイングとLet’s Beer Worksの共同運営という背景から、その両ブルワリーのビールが占めている。この日は頼まなかったけれどフードメニューも充実していて、カンパイ!ブルーイングの代表荒井さんが度々イベント等で提供する大人気の痺辛麻婆豆腐もレギュラーメニューにインしていた。
元々軽く一杯だけ、のつもりでいたので、9種類ある中からカンパイ!ブルーイングの「Cat坂 Mango Tropical Sour Ale」を注文。サイズはレギュラーとラージの2種類展開で、単価の差を見てラージにしたのだけど、ちょうど自分の注文した分で打ち抜きになっていたようだった。ほぼスムージー系のサワーエールで、終わりがけのもったりしたとろみのある液体が「箱舟」と印字されたスマートなプラカップに注がれてやってくる。都内でもなかなか卸しているビアバーが少ないので、神楽坂にブルワリーを構えるカンパイ!のビールを飲むのは本当に久しかった。なぜなら私が西の人間だから。
ひと口飲むと、見た目通りのとろりとした柑橘味、なのだが思ったほど甘くなく、後からホップが追いかけてくる味。うちゅうブルーイングやアマクサソナーのスムージーのような「ザ・デザートビール」といった主張の強さは良い意味で全くなくて、その控えめな表情がフードとも相性良いように思えた。もちろん単体でもしっかり、ゆっくりと味わうことができ、仕事帰りのビジネスマンが行き交うホールの施設内を眺めながら、30分ほど時間をかけて飲み干した。
会計は完全キャッシュレスと先鋭的でスタイリッシュなシステム。駅近でツーリストが寄ることもあるだろうし、イベント会場と隣合わせだと混雑することもあるだろうからベストな選択だと思った。決済後、出口付近に偶然いらっしゃった荒井さんにお久しぶりです、と声をかけると、「おお、今日は仕事か何かですか?」と聞かれたので、全然プライベートで来ちゃいましたと返した。
荒井さんとの会話の中で、実際にイベントと回遊する集客の動きがあるのかを聞いたら「アイドル系のイベントのときは来ないです。格闘技とかだと多少うちにも来てくれるんですけど」と話されていた。確かに、アイドルファンの平均である10~20代にとっては(そもそも10代は法的にNGとして)クラフトビールに馴染みがあるイメージがわかない、というか、酒を飲むこと自体に興味がなさそう。だし、おそらく彼や彼女たちは飲み物一杯に財布を出すなら一円でも多く物販に金銭を落としたいはずだ。クラフトビールの敷居を下げるためのポテンシャルがあるスタイルとして、今日私がいただいたようなサワーエールやスムージーが挙げられるというのに、それらは果物をふんだんに使用していてスタンダードなIPA(それでも1000円前後はするのだけど)などに比べて売値が軒並み高いので、呼び込みとするにはあまりにも本末転倒だろう。クラフトビール業界が今課題解決に向けて動くべき問題は、やはりアルコール離れ進む若年層をどう取り込むか、という面になってくると思う。
またカンパイ!しましょう、と荒井さんにお礼を言って、来た道をまっすぐ戻って帰路へ。広くはないが都会に暮らす中での「窮屈さ」からは逃れられる、そんな居心地の良い箱舟に揺られて考えていたのは、クラフトビール業界の未来と東西のブルワリー合戦があったらどちらに軍配が上がるかな、といった妄想の話だった。