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制服理論
水曜日担当の平林です。
昨日のマッツンのnoteに、パップコーンが売れてない事を書いてましたね。私はコントを作っておきながら、お笑い界に疎いので、いまものすごい売れているお笑い芸人の名前も知りません。だからパップコーンが売れてようが売れてまいが、どっちでもいいんです。私から見たパップコーンはメチャクチャ面白いですから。
その一方で、チケットの売れ行きが芳しくない本質的な理由も、薄々わかっています。noteで公演という仕組みが分かりづらいとか、チケットの買い方が難しいとか、そんなテクニカルな事ではありません。それは私たち「ぱっぷこーんと」が「お笑い」という制服を着てないからなんだと思います。
この「制服理論」は、ワタナベアニさんと20年ぐらい前から提唱している理論なんです。
制服理論というのは、「人は同じ制服を着ている人を応援する。」という原理原則です。制服というのはメタファーですが、例えば、CMディレクターが映画を撮った時、基本的には映画業界の人は応援してくれません。そのCMディレクターは映画業界の制服を着てないからです。映画業界というのは、まさに映画業界で働いている人、そして映画ファンです。
私がCMをあまりやらなくなって、短編映画にばかりチカラを入れ始めた時、CMディレクターの制服を脱いだと思われ、CMの仕事がどんどん減って行った事がありました。たぶん「平林はもうCMに興味がないから、頼んだとしても、CMが好きではなく、たぶんお金を稼ぐためにやるんだろう。」と思われたと思います。
同じ制服の人は、その制服が好きな人だけでやりたいし、その制服が好きな人に仕事をお願いしたいんです。だから、わざわざ自分たちの世界のことを好きでもない人に、仕事を発注しないんです。仕事を発注するを言い換えれば、ファンとしてお金を落とす事とも同じです。これは特殊なことではなく、自分に置き換えてみれば分かることだと思います。
世の中を見回すと、実力はあるけど制服を着てないばっかりにスルーされてる人が、チラホラいるのが分かると思います。
そして、ワタナベアニさんはCMディレクターやアートディレクターをやってましたが、その制服を脱いで、写真家という制服をガッツリと着て、一気に写真界での地位を築きました。今はその上に、文筆家というカーディガンも羽織ってますね。さすがです。
私は広告という制服の片方の袖だけ脱いで、映画という制服に首だけ通したような感じです。下を見ると、子供番組という靴下を片方だけ履いてます。これではダメです。分かりにくいんです。あの人、何やりたいの?という状態なんです。
ぱっぷこーんとに驚くほど反応がないのも、私たちがお笑いという制服を着てないことに理由があるのではないかと、私は思っています。これは意識的に着なかったのか、結果的に着れなかったのかは、よく分かりません。私が制服理論を思い出したのは、公開後ですから。
一方で、制服を着ずに活動する自由ももちろんあります。制服を着なければ、そこの序列に入って比べられることもありませんから、安全でもありますし、自由気ままでもあります。あの先輩や、あの知り合いの顔を思い浮かべて作る必要もありません。そして、成功すれば唯一無二の存在になるチャンスもあります。
でも、制服を着ずに活動していると、その制服のファンの眼中に入ることは絶対にありません。そして、そのファンたちは、自分が好きな制服以外をアンチと思っているのでもなく、単純に自分とは関係のないモノと認識しているだけなんです。
たぶんこの制服理論だけで、7万字ぐらい書ける気がしますが、自分を痛めつけるだけになりそうなので、今回はこの辺にしておきます。